政府は偽造防止などを目的に、一万円札、五千円札、千円札の3種類の紙幣のデザインを一新すると正式に発表しました。新たな肖像画には一万円札に「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一、五千円札に日本で最初の女子留学生としてアメリカで学んだ津田梅子、千円札に破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎を使用し、5年後をめどに発行する方針です。
これは麻生副総理兼財務大臣が閣議のあとの記者会見で明らかにしました。
それによりますと、一万円札と五千円札、それに千円札の新たなデザインの紙幣を5年後の2024年度上半期をめどに発行します。
新しい一万円札の肖像には「近代日本経済の父」と呼ばれ、明治から昭和にかけて産業界をリードした渋沢栄一が使われ、裏には東京駅の駅舎が描かれます。
五千円札は日本で最初の女子留学生としてアメリカで学び、日本の女子教育に尽力し、津田塾大学を創立した津田梅子の肖像が使われ、裏には藤の花が描かれます。
千円札は破傷風の治療法を開発するなど、近代医学の礎を築いた細菌学者の北里柴三郎の肖像が使われ、裏には江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」が描かれます。
偽造防止のために最先端の技術を用いたホログラムなども導入される予定で、紙幣のデザインが一新されるのは平成16年以来となります。
また五百円硬貨についても、偽造防止を目的に素材を変更するなどした新たなものを、2年後の2021年度の上半期をめどに発行します。
現在、流通している紙幣や五百円硬貨は、新たなものが発行されたあとも引き続き使用できます。
一方、二千円札については、現在のデザインが維持されるということです。
麻生副総理は「およそ20年ごとに偽造防止を目的にデザインを替えてきたが、今回も発行の準備におよそ5年ぐらいかかるので、このタイミングでの発表となった。それぞれ新たな産業の育成、女性の活躍、科学技術の発展など、現代にも通じる諸課題に尽力し、新元号の下での新紙幣にふさわしい人物だ」と述べました。
便乗詐欺に注意を
一方、財務省は新しい紙幣の発行に便乗した詐欺が発生するおそれもあるとみて、注意を呼びかけています。
具体的には、例えば「今の紙幣が使えなくなる」などとうその電話をかけて、現金をだまし取る手口などを挙げています。
新しい硬貨が発行されるのは2年後、新しい紙幣は5年後ですが、発行後でも今の紙幣や五百円硬貨は、これまでと変わらず、使うことができます。
このところ改元に便乗した詐欺も各地で相次いでいるだけに、財務省では新しい紙幣の発行に便乗した詐欺には十分注意するよう呼びかけています。
渋沢栄一「近代日本経済の父」
渋沢栄一は明治から昭和初期にかけて活躍した実業家で、生涯およそ500もの企業の設立や育成に関わり、「近代日本経済の父」や「日本資本主義の父」と呼ばれています。
渋沢栄一は江戸時代の天保11年に(1840年)、現在の埼玉県深谷市の農家に生まれ、若いころは、のちに徳川15代将軍となる一橋慶喜に仕えました。
27歳の時には慶喜の弟で、のちの水戸藩主、徳川昭武に随行して、パリの万国博覧会を見学したほか、ヨーロッパ諸国を歴訪し、当時の先進的な経済の実情を見て見聞を広めました。
明治維新のあと、当時の大蔵省に入り、実業家になってからは現在の「みずほ銀行」につながる、日本初の銀行「第一国立銀行」や「東京証券取引所」の前身の「東京株式取引所」、現在の東京商工会議所の前身の「東京商法会議所」など、数多くの企業や団体の設立に携わりました。
現在の王子製紙やサッポロビールなどにつながる企業の設立にも関わり、生涯で設立や育成に関わった企業は、およそ500にも上るといわれます。
実業家としての渋沢の考え方が記されているのが、自身の著書、「論語と算盤」です。この中で、渋沢は企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要で、公益を第一に考えるべきだという「道徳経済合一説」を説き、今の一橋大学など数多くの教育機関の設立や社会事業の支援にも携わりました。
津田梅子「女性教育者の先駆者」
津田梅子は今の津田塾大学を創立したことで知られる明治から昭和初期にかけての教育家です。
江戸時代末期の1864年に生まれ、1871年(明治4年)に女性初の留学生の1人として、6歳で岩倉使節団とともに日本をたち、アメリカへと渡りました。
11年間にわたってアメリカで教育を受けたあと、帰国し、華族女学校の教授を務めました。
その後、再びアメリカに留学してから帰国し、1900年(明治33年)に35歳で女子英学塾、今の津田塾大学を創立しました。
当時は良妻賢母の考えのもと、女性の社会進出が極めて難しい時代でしたが、女子英学塾では「男性と協同して、対等に活躍できる女性の育成」を目指して、英語教育とともに女性の個性を尊重した少人数での教育に力を入れたため、津田梅子は日本の女性教育の先駆者と言われています。
北里柴三郎「近代医学の父」
北里柴三郎は破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、その治療法を確立するなど、明治から大正にかけて、伝染病の予防などに多大な功績を上げた世界的な細菌学者です。
北里柴三郎は江戸時代の嘉永6年に(1853年)、現在の熊本県小国町に生まれ、東京大学医学部の前身となる「東京医学校」で学びました。
卒業後はドイツに留学し、病原微生物学研究の第一人者「コッホ」に師事し、1889年には、当時不可能とされていた破傷風菌だけを取り出して培養する「純粋培養」に、世界で初めて成功しました。
さらに菌の毒素を少しずつ注射しながら体内で抗体を作ることで、病気の治療や予防を可能とする「血清療法」も開発しました。
帰国後は「私立北里研究所」を設立し、インフルエンザや赤痢などの血清開発を続けるとともに、黄熱病の研究で知られる野口英世や赤痢菌を発見した志賀潔など、多くの弟子の指導・育成に取り組みました。
大正6年(1917年)には、慶応義塾大学医学科の創設にも関わり、その功績の大きさから、日本における「近代医学の父」とも呼ばれています。
文部科学相「『柴』の字心強い」
柴山文部科学大臣は記者会見で、千円札に使われる北里柴三郎について、「北里博士は細菌学の父で、大変な功績があって、全然関係ないんだが、私も『柴』の字がついているので、大変心強く感じている」と笑いを誘っていました。
また、五千円札の津田梅子については「女子の高等教育の草分け的な存在で、これから女性の社会進出や、社会人になってからの学び直しが大きく取り上げられる中で、大変すばらしい人選だ」と述べました。