塚崎公義 :久留米大学商学部教授
「財政赤字=悪」という常識を真っ向から否定する今話題のMMT理論は危うさも秘めています(写真はイメージです) Photo:PIXTA
米国で「Modern Monetary Theory(MMT、現代金融理論)」と呼ばれる理論が話題になっている。「自国通貨で借りている財政赤字は紙幣を印刷すれば返せるのだから巨額でも構わない」というものだ。筆者は日本政府の財政赤字について「日本政府が破綻するはずはないので、性急な財政再建で景気の腰を折るようなことはすべきではない」という財政赤字容認派であるが、それでも無条件の財政赤字容認論には危うさを感じている。(久留米大学商学部教授 塚崎公義)
「財政赤字は悪ではない」という新理論
「財政赤字、政府の借金が膨らむことは、様々な問題を引き起こすので悪いことだ」というのが常識的な経済学理論だが、MMTはこれに真っ向から挑戦している。
その意味で、MMTは全くの異端であり「非常織」だ。しかし、米国の民主党左派が財政出動を正当化する「理論」として用いていることから話題になっている。
正統派経済学の巨頭たちが「MMTはトンデモ経済学である」などと反論しているところを見ると、彼らが無視できないほど存在感を増しているのだろう。
内容は「自国通貨建ての借金は紙幣を印刷すれば返済できるのだから、財政赤字は気にする必要がない。もっとも、財政赤字が膨らんでインフレになると困るから、インフレ対策としての緊縮財政が必要になることはあり得る」というものだ。
筆者は、「非常識である」という理由だけでMMTを批判することは控えている。ガリレオの地動説も、当時は今のMMT以上に非常識であったはずだが、結局は正しかったのだから。したがって、以下では「非常識である」ことを除いて、筆者がMMTに賛同できない理由を示していく。
日本はMMTの正しさの根拠?
日本の財政赤字は巨額で、政府の債務も拡大し続けているが、特に困ったことが今現実に起きているわけではない。これをもって彼らは、「日本でMMTの正しさが実証された」としているようである。
これに対して、筆者は「日本でこれからひどいことが起きるかもしれない」「日本は諸外国と事情が異なるから、仮に日本で正しくても他国で正しいとは限らない」という2点から反論したい。
日本でも、今後インフレ懸念が高まった場合には、財政赤字による政府の借金がインフレ懸念という火種に油を注ぐ役割をするかもしれないし、政府が破産するといううわさが国債を暴落させるかもしれない。「今まで悪いことが起こらなかったから今後も大丈夫だ」とはいえないのだ。
とはいえ、確かに日本はMMT向きの国である。国民性からも過去のデフレの経験からも、国民がインフレ懸念を持ちにくいからである。日本よりインフレ懸念が持たれやすい国で同じことをやったら、悪性インフレが容易に発生する可能性は十分にある。
インフレ懸念に脆弱なMMT
財政赤字が続き、政府の借金が巨額になっている日本で、インフレ懸念が高まったらどうなるだろうか。人々は、急いで銀行預金を引き出して物を買いに走るだろう。そして、銀行は預金者に紙幣を渡すため、準備預金を引き出したり国債を日銀に売却したりして紙幣を手に入れるだろう。
瞬時にして世の中に大量の紙幣が出回り、それが人々の「買い急ぎ」に使われるわけだから、激しいインフレになるはずだ。もちろん政府と日銀がインフレ対策を講じるため、インフレに歯止めが利かなくなるわけではないが、インフレ対策の厳しい引き締めなどによって経済に大きな打撃が加わるだろう。
一方、もしも日本政府が健全財政を貫いていれば、銀行は巨額の準備預金も国債も保有しておらず、瞬時に大量の紙幣が出回ることはないかも知れない。
それ以前に、政府が従来巨額の増税によって財政を再建していたら、人々は今ほど多額の銀行預金を持っていなかったであろう。
人々は預金を引き出して納税していただろうから、預金残高は減っており、買い急ぎの原資となる預金は限られた金額になっていたはずなのだ。
したがって、日本でも「財政赤字が大きいがゆえのひどいこと」は起き得る。その契機は、石油ショックのようなもの、大地震による復興資材の価格高騰、あるいは「政府が破産しそうだから日本銀行券を実物資産に換えよう」という動きなど、様々な可能性が考えられよう。
ここで問題なのは、財政赤字や政府の借金の大きさとインフレ率が連動していないことだ。
もしも「財政赤字が10%増えたらインフレ率が1%高まる」というような関係があれば、MMTも採用可能かもしれない。「インフレにさえならなければ財政赤字は問題ない。インフレが始まったら直ちに緊縮財政を始めればいい」といえるからだ。
しかし、実際にはインフレは地震のようなもの。地震は、地殻の変動によってエネルギーが徐々に溜まっていき、ある時突然にそれが地震として解き放たれるが、MMTでも「財政赤字によって徐々にインフレの潜在的なエネルギーが溜まっていき、ある時突然にそれがインフレとして解き放たれる」のである。
したがって、財政赤字が続き、政府の借金が膨らむほど「万が一の場合の被害」が大きくなり得る。もっとも、地震と異なり、日本の財政赤字の場合は永遠に何も起きない(つまり結果としてMMTが正しかった)可能性もゼロではないが。
緊縮財政するリスクとしないリスクの比較が必要
筆者は、MMTを無条件に肯定しないが、かといって「財政赤字は何としても縮小すべきだ」と考えているわけでもない。
日本の場合、財政赤字を続けてもインフレ懸念が買い急ぎを誘発して、インフレが自律的に加速していく可能性はそれほど高くない。一方で、緊縮財政を採用した場合には、景気が腰折れして景気対策が必要となり、かえって財政赤字が増えてしまう恐れがある。
したがって筆者は「日本の場合、10年待てば労働力不足が進展し、増税しても失業が増えない時代が来る(拙稿『令和が日本経済の「黄金期」になる理由』をご参照)のであるから、それを待ってから増税すればいい」と考えている。
このように、日本についての結論だけを見ると「緊縮財政に反対」というMMTと似たようになっている。しかし、決して「財政赤字は全く気にする必要がない」などと考えているわけではない。
日本以外の多くの国については、日本と比べて「インフレが自律的に加速していく可能性が高い」ため、MMTは危険である。仮に日本でのMMTの「実験」が成功しているからといって、他国でも成功するとは限らないのだ。
米国のMMTはやめてほしい
特に、米国のMMTは肯定できない。1つには米国自身のために、そしてもう1つには米国以外の経済のために。
米国は、日本よりインフレ体質の国である。「物価が上がると賃金が上がり、それが物価をさらに押し上げる」サイクルが日本より働きやすい。日本の正社員は終身雇用かつ年功序列なのでインフレ時に賃上げしなくても会社を辞めないが、米国はそうではないからだ。
加えて、米国人消費者はインフレになると「買い急ぎ」をするため、インフレが加速しやすいだろう。日本人消費者はインフレになると「老後のための蓄えが目減りしてしまったから節約しなければ」と考える人が多いが、それとは事情が異なるからだ。
米国人は日本人ほど将来のことを不安視しないという国民性に加え、米国人の金融資産はインフレでも目減りしない株式等のウエートが高いからだ。
最近、先進国ではインフレが起きていないので、次にインフレがきた時にそうなるか否かは何ともいえないが、そうなる可能性は決して低くなさそうだ。
したがって、米国の財政赤字拡大は日本より危険であるから、MMTは米国自身のためにも採用すべきではないだろう。
基軸通貨の混乱は世界に迷惑
日本がMMTを採用しても、メリットとデメリットは主に国内に限られるが、米国がMMTを採用する場合にはそれにとどまらない。メリットは主に国内に限られるが、デメリットは世界中に及びかねないのだ。
例えば、米国が激しいインフレに見舞われて金融が大幅に引き締められた場合、世界中で貿易や投資や融資に使われている米ドルが不足したり、金利が高騰したりする。米国以外の国にとっては大迷惑である。
「米国が受けるメリットと米国が受けるかもしれないデメリットだけを比べればMMTは良い物であるが、諸外国の受ける迷惑の可能性まで考えればMMTは悪いものである」という場合に、米国はどうするのであろうか。
「米国ファースト」の発想で他国の迷惑を顧みずMMTを導入するようなことは、ぜひともやめてもらいたいものである。もっとも、諸外国としては米国ファーストを止める手段を持たないので、祈ったり頼み込んだりするしかないのだが。