日韓対立の時流に乗れば、何を書いても許されると考えたのだろうか。今週発売の「週刊ポスト」が韓国への憎悪や差別をあおるような特集を組み、批判を受けている。

 特集は「韓国なんて要らない」とのタイトルで「『嫌韓』ではなく『断韓』」を主張する。中でも韓国人の性格を扱った記事は「10人に1人は(精神障害の)治療が必要」などと韓国をおとしめていた。

 雑誌が「本音のメディア」であることは否定しない。際どい手法を用いながらも、ゲリラ的に権威や権力に挑むことでジャーナリズムを活性化させてきた歴史はある。

 しかし、今回の特集はそれらと次元を異にする。日本社会の一部にはびこる韓国人への偏見やヘイト感情におもねり、留飲を下げる効果を狙ったのではないか。だとすれば、さもしい姿勢と言わねばならない。

 特集内容に反発した作家からは、「もう(発行元の)小学館の仕事はしない」などの声が上がっている。このため、週刊ポストの編集部は「配慮に欠けていた」と謝罪のコメントを出すにいたった。

 読者のヘイト感情を刺激する編集方針は同誌に限らない。昨秋は月刊誌「新潮45」が性的少数者への差別的論文の掲載で批判を浴び、休刊に追い込まれた。右派の言説を売り物にする月刊誌には、最近も「韓国という病」「NO韓国―絶縁宣言」などの見出しが躍っている。

 背景にはネットメディアの伸長に伴う雑誌不況があると言われる。従来型の記事では売れないため、あえて偏向表現を多用するものだ。日韓の政治対立が深まる今、韓国は格好のターゲットになっている。

 徴用工問題や慰安婦合意をめぐる文在寅(ムンジェイン)政権の対応は、確かに国家間の信義にもとる点がある。民主国家だから政治的な批判の自由は、最大限保障されなければならない。

 ただ、その範囲を超えて相手国民への差別につながるような言論は、メディアの責任として排除する必要がある。差別は人間存在の根源を傷つける暴力であるからだ。

 日韓間には感情的なあつれきを生みやすい歴史がある。だからこそ、双方の認識ギャップを埋める努力がいる。その役割を担うのはメディア自身ではないのか。