最近テレビや新聞をみながら気になるフレーズがある。専門家や災害に遭われた被災者が何気なく使うひとこと、「想定を超えた雨量だった」とか「あっという間に水が家の中に入ってきた」というコメントや感想だ。過去にもあった。「想定を超えた津波」「想定になかった事態」「過去に経験したことがない豪雨」などなど。想定を超えた事態に驚いている専門家や住民の姿が新聞やテレビ、雑誌など様々なメディアに溢れている。一般的に言えば、想定外のことが起こるから人々は驚くのであり、新型コロナのように未知なる脅威に直面すれば多くの人が恐れ慄く。それはそれで普通の感覚だと思うのだが、近年、想定を超えた事態が毎年定期的に起こっている。この辺にこのフレーズの醸し出す不可解さがあるような気がして仕方がない。

テレビで河川の専門家である大学教授がコメントしていた。「想定を超えた雨量に河川が耐えられなくなっている」と。またいつもの解説かと思ったのだが、次の発言はちょっと違った。ダムを作らなかったし、河川の改修も進んでいない。雨量が想定を越えたことは事実だが、河川の改修が遅れたことが被害を大きくしたとの解説だ。同じ番組で蒲島熊本県知事は河川の改修が遅れたことを認めていた。この知事はダム反対派として熊本県知事になった人だ。ダム建設を見送る見返りに既存河川の改修が必須の条件になるが、川幅を広げたり堤防を高くしたりする工事は近隣住民の反対が強く、実行に移せなかったという。ものごとは単純ではない。二人の専門家の発言を聞きながら、想定外の裏に潜んでいる人為的な不作為について考えた。

当たり前のことかもしれないが、過去に経験したことがなかった出来事に直面して人々は「想定外」と驚いている。だが、現実問題とすれば想定外のことが毎年起こっている。集中豪雨はもはや想定外ではない、常態化しているのである。にもかかわらず専門家も含め多くの人々が、いまだに「想定外」と考えることに安住している。地球環境は指数関数的に悪化している。とすれば集中豪雨にとどまらず自然災害の規模や被害はこの先、想像をはるかに越えて巨大化するだろう。それに備えて我々はどんな対策を講ずればいいのだろうか。なにごとも「言うは易く行うは難し」ということだろう。恐ろしい時代になってきた。