コロナウイルスの第二次感染拡大懸念が強まっている中で、日本列島を覆っていうこの空気感はなんと言えばいいのだろうか。お盆に帰省してお墓参りをする、これは典型的な日本人の夏の風物詩だ。それをめぐって地方自治体の首長は「できれば帰ってこないでほしい」と嘆願し、政府や専門家は3密回避にマスク、手洗い、社会的距離の確保など聞き慣れたというか、聞き飽きた感のある決まり文句を滔々と繰り返すだけだ。日本が世界の誇る「自粛」を最大の武器に感染防止対策を組み立てていることを考えれば、例え聞き飽きたと言われても同じことを繰り返さざるを得ないのが専門家や政治家の建前か。テレビのワイドショーが性懲りもなくこうした雰囲気に輪をかけるように、同じことを何度も何度も執拗に繰り返す。漂うのは“閉塞感”だけである。

閉塞感、これもまた日本人が好む風潮なのかもしれない。失われた30年、閉塞感に慣れ親しんだ日本人は、閉塞感の中に“安心感”のよりどころを見出しているような気がする。吉村知事はおそらくこの閉塞感を打破したかったのではないだろうか。ポビドンヨード入りうがい薬を突如持ち出した。結果は案の定と言っていいだろう。吉村知事の記者会見がリアルで中継されたその時点から、日本中のドラッグストアにヨード入りうがい薬を求める消費者が殺到した。こうした事態を翌日のワイドショーが鳴り物入りで取り上げる。専門家やタレントなど硬軟取り混ぜたコメンテーターの発言はどれもこれも似たり寄ったり。恥の上塗りならぬ閉塞感の上塗りだ。最高責任者の安倍首相は、体調が悪いのかこのところ一切表に出てこない。状況は日に日に悪化するばかりだ。

日本に足りないものは何だろうか。「ウイルスはいずれ消える」とほざく大統領もいなければ、権力を傘に来て個人の自由を勝手に奪う独裁者もいない。中央、地方を問わず官僚や政治家も個人個人は優秀で、学者、知識人、メディアもそれなりに真面目に仕事をしている。医者、看護師、医療関係者、高齢者の面倒を見ている看護施設など、過重労働に耐えている多くの人たちには感謝の言葉しか見当たらない。にもかかわらずだ、何もかもが、なんの当てもなく、ただただ、ぐるぐると堂々巡りを繰り返している。日本にあるこれが本当の“危機”かもしれない。「コロナと共存」と言った途端に政治家も専門家も国民も、どうしていいかわからなくなる。長い目で見れば、この際徹底的にウイルスに暴れてもらった方がいいのかもしれない。