ショパン国際ピアノコンクールで2位に輝いた反田恭平氏が株式会社「ジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)」を設立して間もなく1年。長引く新型コロナウイルスの影響も物ともせず、瞬く間に「チケットが取れないオーケストラ」に成長した。
JNOは国内外でほとんど類を見ない、株式会社の形態を取るオーケストラだ。所属するソリストを従業員として雇用し、給与を支給する。コンサートチケットの販売や音源制作・配信などを事業の柱とし、収益は次の目標に投資。才能ある演奏者を支援しつつ、最終的には音楽院の創設を目指している。
社長の反田氏はブルームバーグ・ニュースとのインタビューでJNOの歩みを振り返り、オーケストラを1人でも多くの人に知ってもらうという課題は「最低限クリアできたのではないか」と語った。全国ツアーはいずれも満席で、一部のチケット倍率は13倍にも達した。さらに、昨年10月にポーランドで開催された第18回ショパン国際ピアノコンクールで反田氏が2位に入賞したことで、人気に拍車がかかった。
JNOに財団を通じて7割出資する工作機械メーカーのDMG森精機も、1年の成果を評価する。インタビューに同席したDMG森精機の川島昭彦専務は、今年中に収支均衡に持ち込めるのではないかと予想。シンプルなコスト構造もJNOの黒字化に寄与すると述べた。人件費など運営にかかるコストが限られることに加え、才能を持った従業員の集合体であり、投資効率が高い。目の前のゴールに専念するためとして、現時点では上場や増資などは予定していない。
DMG森精機と反田氏の出会いは2018年、ドイツ・ビーレフェルトでDMG森精機の現地子会社が主催したコンサートにさかのぼる。コンサートの2日前、出演予定だったピアニストから、けがで演奏できなくなったと連絡が入った。そこでピンチヒッターを引き受けたのが反田氏だった。直前の依頼にもかかわらず現地に飛び、ラフマニノフの名曲「ピアノ協奏曲第2番」を力強く弾き上げた。今年はビーレフェルトなどでの海外コンサート実現に向け調整を進めているという。
持続性のある音楽業界を
公益社団法人・日本オーケストラ連盟によると、国内オーケストラの多くは公益財団法人や公益社団法人などが運営している。主な収入源はチケットをはじめとする演奏活動による収入だが、公的支援や民間の寄付も大きな割合を占める。近年は新型コロナウイルスの影響で演奏会が延期・中止となるなど演奏収入が大きく落ち込み、補助金や寄付が欠かせない状況となっていた。
反田氏は、音楽家の給与が実績や知名度により大きく異なることにも着目する。世界的奏者には2時間の公演1回につき3000万円レベルのギャランティーが支払われると明かした。一方で学生などは5万円前後の謝礼を手にする程度だと説明。1、2カ月の練習期間に対する報酬としては非常に少なく、若手はゆとりのない生活を送る。
才能ある音楽家が演奏や勉強に集中できるよう経済的に支えたいという反田氏の熱意がJNOの根幹にある。同社では所属する演奏家に対し、それぞれの雇用形態に基づき給与やギャラを支給。年300万円程度の給与を受け取る者もいる。年2回の定期公演に参加することと、東京都と奈良県で年1回ずつリサイタルを開催することが最低条件で、それ以外にもコンサートがあればその都度ギャラを支払う。雇用する音楽家20人はほぼ全員が20代で、有望な若手に演奏の機会を与える狙いもある。
38団体が所属する日本オーケストラ連盟の桑原浩事務局長は、クラシック音楽のファン層の幅が広がる中で新しい形のオーケストラが出てくるのは「当然であり、注目している」と述べた。一方で、先行き不透明な時代に永続するオーケストラを目指すためには、収入のソースやメンバーの年齢層を多様化し「足腰を強くする」ことも重要と指摘した。
音楽の新たな楽しみ方
JNOはデジタルを活用した事業にも力を入れる。会員制オンラインサロンの「Solistiade(ソリスティアーデ)」には4月時点で3万人が登録。有料会員には、演奏家らが楽器の弾き方を動画で解説したり、会員から寄せられた質問や相談に反田氏らが回答したりといったサービスを提供する。ピアニストの務川慧悟氏やバイオリニストの岡本誠司氏などによるマンツーマンの楽器レッスンも目玉の一つ。中核事業となるよう今後もコンテンツを充実させていく方針だ。
クラシック音楽のファンは50代以上に多い。デジタルの活用をはじめ、JNOの斬新なアイデアも同年齢層からは常識外れと捉えられ、敬遠される恐れもある。しかし反田氏は、これらは音楽業界の発展のために重要な取り組みだと強調。挑戦に対する反発や批判も、一つ一つ理由付けできるため「怖くない」と語る。会員制交流サイト(SNS)の発達によりクラシック人気は20代にも広がり始めており、音楽の新たな楽しみ方を積極的に追求していく姿勢を示した。
オーケストラと会社と学校の「指揮者」に
反田氏が最終的なゴールとして掲げるのは、音楽院の設立だ。欧州のコンセルバトワールのような実践型の学びやを、2030年にも奈良県に創りたいと語る。奈良県に世界中から学生を集め、「鹿の数以上に楽器を背負っている子たちが増えればよい」と述べた。
また、自身の将来については、音楽家と経営者の両方の道を追求したいとの意気込みを示した。「アイデアを大事に、その場のインスピレーションを尊重し、スタッフとともに活動を大きくしていく」点ではビジネスも音楽も一緒であり、両方の夢を追う音楽家は今後5年以内に確実に増えていくと述べた。
昨今のウクライナ情勢について問われると、暮らしていたロシアの街の景色がテレビに映り、戦況と共に報じられるのを見て「いたたまれない」と反田氏。同氏はモスクワ音楽院留学時、子供たちにピアノや日本語を教えるアルバイトもしていた。国際政治の影響は音楽業界にも波及する。ウクライナやロシア出身の演奏家がコンクールへの出場を辞退せざるを得なくなり、反田氏自身もオファーのあったロシア人指揮者との共演がかなわなくなった。政治的な理由で「大きな舞台への切符が絶たれてしまうのは非常に悔しい」と語った。