世界中が注目していたプーチンの対独戦勝記念日演説は、ないない尽くしの自己正当化だけが目立つ内容だった。メディアを通じて伝わってきたのは、プーチンとロシアが歴史の彼方に霞のように消えていくかのような印象だ。西側メディアによる反プーチン報道に洗脳されているせいかも知れない。演説の全文を改めて読み直してみたが、ウクライナへの侵略を正当化する論拠はまるでない。あるのはプーチンの独りよがりの歴史観とロシア軍や国民、親ロシア派の人々への阿るような“追従”。そこにかつてナチズムと戦って勝利した先人たちへの憧憬が加わる。戦果報告もなければ、戦争宣言もない。当然だがこの戦争の展望もない。欧米やNATOに対する恨み、妬みだけではない。僻み、嫉みのような繰言が随所に顔を出す。ゼレンスキー大統領は「これは2つの軍隊による戦争ではない。2つの世界観の戦いだ。ミサイルが、われわれの哲学を破壊できると信じている野蛮人による戦争だ」と一喝する。
プーチンの演説は次の様に始まる。「われわれの責務は、ナチズムを倒し、世界規模の戦争の恐怖が繰り返されないよう、油断せず、あらゆる努力をするよう言い残した人たちの記憶を、大切にすることだ。ロシアは常に、平等かつ不可分の安全保障体制、すなわち国際社会全体にとって必要不可欠な体制を構築するよう呼びかけてきた」。まず自己の正当化から始まる。その上で「ドンバスでは、さらなる懲罰的な作戦の準備が公然と進められ、クリミアを含むわれわれの歴史的な土地への侵攻が画策されていた」。悪いのは敵方というわけだ。いつの間にクリミアは「われわれの歴史的な土地」になったのか。独りよがりも度が過ぎる。これを称して米国は「プーチンの歴史修正主義」(サキ報道官)と批判する。ナチズムを倒した先人の功績にすがりながらプーチンは、ナチズムと化している自分自身の姿に全く気づかない。ゼレンスキー大統領は「77年前に起きた悲劇が今、繰り返されている」と非難する。
それもこれも戦況が思い通りに進まないせいだろう。大々的に勝利宣言するはずだった戦勝記念日。そこで建前だけを繰り返さざるを得なくなった現実。2月24日の侵略開始前に行われた戦争の理屈が繰り返されている。裏を返せば「特別軍事作戦」が失敗したと打ち明けているようなものだ。世界中がウクライナで起こっている悲劇と、ロシア軍の予想外の“弱さ”を目撃している。これはプーチンにとっても、ロシア国民にとってもいたたまれないほどの屈辱だろう。専門家はこの演説から戦争の長期化と、窮鼠猫を噛む危険性を指摘する。いつの間にかロシアは猫から鼠に身を落としてしまったようだ。メディアは東部戦線でウクライナが少しずつ巻き返していると報じている。霞みつつあるプーチンとロシア、ここから巻き返すのは大変だろう。対するウクライナ、「5月下旬から6月上旬にかけて反転攻勢に転ずる」、あくまで冷静に戦況を見通している。
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