[ヘルシンキ 4日 ロイター] – ロシアに残した資産をどう処分するか──。今なお、答えを探しあぐねている多くの外国企業にとって、プーチン大統領が極東サハリン沖の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」に関して署名した命令は、強烈な警告になった。
プーチン氏が、日本企業の参加している同事業の運営をロシア政府が新設する企業に移管するよう促したことで、他の外国企業も「とにかく早く決断しないとひどい目にあう」と肝に銘じたのだ。
現在もさまざまな外国企業が、金銭的な負担をできるだけ減らし、従業員を危険にさらさずにロシアから撤退する方法に頭を悩ませている。一部では将来ロシアに戻ってくる機会も確保できないかと考える向きさえある。
こうした中でロルフ・ラダウ氏が最高経営責任者(CEO)を務めるフィンランドのコーヒー製造・販売会社、パウリグは、いち早くロシアから手を引くことができた企業の1つだ。
ロシアのウクライナ侵攻に伴って欧米諸国が制裁を開始した時点でラダウ氏は、ロシア事業がもはや維持できないと判断した。コーヒーは直接の制裁対象ではなかったが、貨物会社がロシアと行き来する輸送を停止したため、コーヒー豆を同国に持ち込むのがほぼ不可能になったからだ。ルーブル建て決済も日増しに難しくなっていった。
そこで、ラダウ氏はウクライナの戦争が始まってから2週間でロシア撤退を決め、通常なら最長1年かかる買い手探しの手続きをその後の2カ月間で済ませた上で、5月にはインドの投資家に事業を売却する契約を結んだ。
もっともこうした成功例は、むしろ少数派に属する。同じように事業売却に合意した外国企業は、マクドナルドやソシエテ・ジェネラル、ルノーを含めて40社に満たない。
ロイターがこれまでにロシアの資産を処分した外国企業の経営幹部5─6人に取材したところ、迅速な売却がいかに難しく、なかなか成功が見通せなかったことや、売却に時間がかかった理由などが明らかになった。
浮き彫りになったのは、数々のハードルだ。具体的には、1)ロシア政府が外国企業にどんな行動を許可するのかを巡る混乱、2)制裁への報復をちらつかせるロシア側に対する従業員の不安、3)制裁によって限定される事業の買い手と、買い手候補を精査できる時間、4)足元を見られての売却価格の大幅な引き下げ、5)現地に出向いて拘束される懸念からバーチャル方式で交渉せざるを得なかった事情──などが挙げられている。
そして、ロシア政府が撤退を決めた西側企業のロシア事業を「接収」できるようにするための新たな法令を準備している以上、リスクは高まる一方だ。
ラダウ氏は、サハリン2の事業移管命令が出される前の時点で、ロイターに「まだ、資産売却手続きに着手していないか、引き続き売却に懐疑的な企業は、さらに立場が厳しくなる。ロシアが外国企業にあっさりと撤退を許すことで得られる利益は何もない」と語った。
<見つからない正解>
西側企業の多くは、ロシアから撤退する取り組みの面で壁に突き当たっている。
例えば、米ハンバーガーチェーンのバーガーキングは今年3月、ロシア国内の店舗への支援を停止した。だが、今でも約800店が営業を続けている。法律専門家の話では、合弁形式のフランチャイズ契約の複雑性に問題があるという。
イタリア大手銀行・ウニクレディトは、スワップ取引を通じて一部資産を処分できた。しかし、インドやトルコ、中国などの国まで買い手候補の範囲拡大を迫られた。
ロシアのウクライナ侵攻から4カ月が経過して、外国企業がこれらの厄介な事態から解放されるための「正解」にたどり着いた兆しはほとんど見当たらない。事業を手放せたルノーやマクドナルドにしても、売却金額は事実上ゼロだった。両社は事業の買い戻し条項を盛り込むことにも同意している。
一方、パウリグのラダウ氏は事業売却に当たって買い戻し条項を入れないと決めた。「道徳倫理上の諸問題があまりに深刻で、われわれがロシアに戻ってくる余地はない」という。
<銀行の関与なし>
外国企業による今回のロシア資産処分に異例さがつきまとう原因の1つは、通常なら重要な役割を果たす銀行が一切介在していないことだ。
複数の関係者は、銀行側が制裁違反を恐れて関与を避けていると説明する。
そこで外国企業は、ロシア国内の法律専門家や、ロシアでの事業の買い手探しに精通する国際的なコンサルティング企業を頼り、売却手続きの正当性や制裁の順守、金銭的な信用を確保しようとしている。
ただ、ある企業からは、ロシアのアドバイザーの間でさえ、その都度出てくる助言が以前の内容と矛盾していると嘆く声も聞かれた。
それでもサハリン2を巡るプーチン氏の命令によって、この先どうなるかがより明白になってきた。撤退作業に苦戦を続けている外国企業幹部の1人は「ロシア政府はまもなく報復に動く。ガスだけでなく、他の分野でも」と警戒感をあらわにしている。
(Essi Lehto 記者、Anne Kauranen 記者)