[グナンクッパム(インド) 8日 トムソン・ロイター財団] – 公式の地図上には道路や発電所、灯台などの場所が示されている。だが、インドの漁師が何世代にもわたって船を停泊させたり、銀色の釣魚を干し、祈りを捧げ、死者を埋葬するのに使用していた特別な土地は記録されていない。

そこでインド南部の漁師たちは今、アプリという新技術を使って、古くから使われてきた貴重な場所を一カ所ずつマッピング(地図作成)している。ラグーンでの生活が産業に脅かされるのを止めるためだ。

「私はただの漁師だ。マッピングについては何も知らない。だが近い将来、私たちの生活が行政によって破壊されないようにするためには、これを学ばなければならない」とバラス・ラジさん(33)は言う。 ラジさんの家族は代々、タミル・ナードゥ州にあるプリカット湖で引き網漁を営んできた。

ラジさんはスマートフォンを手に湖のほとりの砂浜を移動し、波止場や漁網干しの場所、地元の神々をまつった社といった特別な地点を記録していった。政府の最新の沿岸部の地図にある複数の空白部分を指差し、そこは活気にあふれた村のある場所だと語った。

政府主導の新たな区画改正を3カ月後に控え、ラジさんは自身の漁業や生活に関わる場所がプリカット湖での次の「ブラックホール」になるのではないかと懸念している。

「これまでずっと、私たちが持っていた土地だ。だが、政府は区画のルールを変え続けている。私たちの慣習や生活がこの場所で受け継がれてきたことなどお構いなしだ」

2人の子供を育てるラジさんや仲間の漁師らはこれまでに、グナンクッパムにある数百カ所の特別な地点の座標をグーグルマップなどのアプリを使って記録してきた。どの場所も政府公式の地図には明示されていない。

ラジさんは、グナンクッパムの入江一帯で進められている産業化計画では、漁師が最も大切にしている場所は「荒れ地」に分類されていると指摘。インド国内の大部分に変化をもたらしている急速な産業化が、自分たちの身にも降りかかってくるのではないかと懸念を示す。

入江周辺では、港や発電所の建設などが計画されている。こうした開発が実現すれば、サバやスズキを獲ってきた派手な色の数百隻の引き網漁船は、漁が出来なくなりかねない。

<新旧の争い>

「タミル・ナードゥ州の沿岸管理当局が発行している公式の地図には詳細な情報が掲載されておらず、漁師の間で騒ぎになった」とティルヴァッルール地区の漁業当局で副責任者を務めるアジェイ・アナンドさんは言う。アナンドさんは湖の運命を左右する政府機関の主要メンバーだ。

「漁師たちは、自分たちで調査を行う役目を買って出た」とアナンドさん。

「産業化の計画は、これまで何度も立てられてきた。ただ、地元の漁民らは地図を頼りにこうした動きに立ち向かおうとしている」

アナンドさんによれば、漁師らが作成した地図は水産課が公正な立場で照合し、確認するという。

「政府はいずれ、私たちが用意した地図を使うことになるだろう」

沿岸地域の区画分類を統括するインド環境省にコメントを要請したが、返答は得られなかった。

グナンクッパム村と湖が位置するエンノール半島周辺の漁村は、インドの新旧の様子が交差する場所だ。

入江周辺では木製ボートや腰布を巻いた漁師らが泥水をかき分けて渡っていく。その周囲を鋳造所や地熱発電所、造船所などが取り囲んでいる。

湖の水平線の先にはインドの国立宇宙機関の施設が見え、時間を経ても変わらないラグーンの暮らしと、ハイテクな未来に対するむき出しの希望が混ざり合った同地の不調和を際立たせている。

地元住民らは自国が人工衛星を打ち上げるのを横目に、豊富な水源や肥沃な土壌をたたえる土地で家族を養うのにも苦労している。

「自国に対する誇りを感じない」と話すのは漁師のマジマイラージ・Dさん。マジマイラージさんの月収は2万ルピー(約3万5000円)ほどだ。

「インドが発展していると思っているのか。全くだ」

<マッピングへの意欲>

「開発が進む中で、漁師は生活や生計手段を失いつつある」と地元の環境活動家団体「沿岸資源センター」でコーディネーターを務めるサラバナン・K氏は言う。

「私たちの土地は、発電のために使われている。だが私たちが奪われたものもある。開発が進められる中で、私たちの生活の源である海や川は汚染されてしまった」

サラバナン氏はノートパソコンを開き、地域にある数百もの村の位置を記録するのに使う地理情報システム(GIS)のソフトウェアを立ち上げ、ラジさんら漁師が記録した場所を衛星写真と照らし合わせた。

動画共有サイトユーチューブでソフトウェア・エンジニアリングを学んだ友人に使い方を教わった、とサラバナン氏は明かした。それから、地図作成のために地域内からのボランティアを募ったという。

「(政府が使っているものと)同じ技術だ。私たちはただ、政府がやらないことをやっているだけだ」

携帯電話がグナンクッパム村で使われ始めたのは2006年であることを考えると、マッピングアプリのこのような急速な普及は驚くべきことだ。

ラジさんは、フィンランドの通信機器大手ノキア製の携帯電話を村で初めて手にした3人のうちの1人だった。電波信号を得るため、地上を20キロ移動することもあったという。

それ以降、安価なスマートフォンへのアクセスは奥地でも急増。デロイトが2022年に発表した報告書によれば、インド全土で2026年までにスマホユーザーは10億人を超えると予測されている。

漁師たちは過去の成功体験を思い出しながら、今後のマッピングミッションに向けて意欲を高めている。

環境保護を監督する政府機関「国家環境審判所(NGT)」に対する訴えが認められ、保護下の沿岸地域で産業活動が制限されたことはその一例だ。

漁師らの尽力により、古来の漁場を脅かす地熱発電所の拡張や、湖や川などの民間による買収を阻止することができたとサラバナン氏は振り返った。

タミル・ナードゥ漁業組合のデュライ・マヘンドラン代表は、環境が壊されやすい沿岸部を脅かす開発計画から自分が住む村を救ったのは、地元住民によるマッピングだと評価した。

プリカット湖の向こうに沈む夕日を見ながら漁師のダヤラン・Dさん(39)は、昔ながらの生活を保持するために新たな技術を取り入れているのだと話す。

「政府が道路や建造物の建設を提案しに来る時は、いつも簡単に土地を奪われてしまう」とダヤランさん。

「正確な地図の証拠資料があれば、土地の所有権を主張することができる」

(Laasya Shekhar記者、Vidhi Doshi記者)