唐鎌大輔 みずほ銀行チーフマーケット・エコノミスト

コラム:「新時代の赤字」で長引く円安、重み増す需給の構造変化=唐鎌大輔氏

[東京 12日] – 大崩れする日経平均株価(.N225), opens new tabを横目にドル/円相場の下落は145─150円のゾーンで踏みとどまっている。

もちろん、本稿執筆時点の日米金融政策会合のスケジュールを踏まえれば、金利差縮小に応じた調整余地はまだ、あるだろう。

例えば、IMM通貨先物から推測される投機筋の円売り持ち高は、依然として今次円安局面で最高水準にある。もとより弊行ハウスビューでは「押し目があるとすれば4─6月期」という考え方を提供してきた。円高自体は想定された値動きとして落ち着いて見ている。

<140円割れなければ、需給構造に変化か>

むしろ、この調整局面において「いくらまで押し返せるか」というポイントが重要であり、仮に140円を割り込めないとすれば、やはり「需給構造の変化が円安の背景」という論点に再びスポットが当たってくるはずである。

少なくとも1年前、円相場を説明するのに多くの有識者は金利差にこだわっていた。筆者は、今次円安局面が始まる直前の2022年2月、「『成熟した債権国』としてのマクロ政策はどうあるべきか」というコラムを投稿した。

その後、「そうした構造的な円安論は尚早である」という反論も多くいただいた。しかし、あれから2年が経過し、執ような円安相場の原因を国際収支構造に求める論調は明らかに増えていると感じる。

金利差は方向感を規定するが、需給は水準感を規定するというのが筆者の基本認識だ。当面は日米金利差縮小に応じてドル安・円高という方向感を捉える時間帯に入るものの、「円を売りたい人の方が多い」という円相場を取り巻く需給環境は結局、大きく変わらないと筆者は引き続き考えている。

<24年1月のCFは赤字>

前月のコラム「日本はデジタル小作人か、仮面の経常黒字国と円安の関係」では日本の経常収支について「統計上の黒字」と「キャッシュフローの赤字」が混在しており、その様子を「仮面の黒字国」と表現して議論した。

その反響は大きく、3月8日に公表された日本の1月国際収支に関し、筆者試算のキャッシュフロー(CF)ベース経常収支で見ると、どのような仕上がりだったのかという照会が複数来ている。

まだ、今年に入って1カ月分であることや、例年1月および2月の数字は中国の春節要因もあって両月を総合判断することが推奨されるため、現時点での試算に大きな意味があるとは思っていない。ただ、関心の高さも感じるゆえ、一応の数字ということで提示しておきたい。

まず、発表された1月分の経常収支は4382億円の黒字となり、報道では「前年同月の赤字(2兆0136億円)から黒字に転化した」という事実がクローズアップされた。

だが、中国の春節要因で日本の世界向け輸出が押し下げられるという季節性については、昨年が1月、今年が2月になるという食い違いがあるため「2月は大きな悪化が懸念される」という事実と合わせて報じるのが本来フェアである。

しかし、相変わらず報道の焦点は「貿易サービス収支の巨大な赤字(1兆9638億円)にもかかわらず、第1次所得収支(2兆8516億円)の巨大な黒字があることで経常収支黒字が確保された」という点に集中している。

それは一面で事実だが、前月のコラムでも述べたように、円相場の需給はより掘り下げた分析が必要になる。第1次所得収支の黒字に筆者が試算する円転率(黒字のうち円買いにつながっていると思われる割合。四半期平均で約25─30%と推定)を加味したCFベース経常収支を試算すると、1月経常収支は約1.8兆円の赤字と2カ月ぶりの赤字であった(数字はあくまで概算ベース)。

いずれにせよ、相変わらず「統計上の黒字」に対し「実務上の赤字」が併存している状況であり、この構図が続く限り、円安相場の根本的な収束は難しい、というのが筆者の従前からの主張である。

<デジタル赤字は月間4600億円ペース>

CFベース経常収支と合わせて「デジタル収支赤字はいくらだったのか」という照会も多い。これは新聞やテレビ、雑誌でも特集が増えていることからも分かるように、当分は注目論点になるだろう。

サービス収支の構成項目を従来の「旅行・輸送・その他」の3項目から「モノ・ヒト・デジタル・カネ・その他」の5項目に組み直し、以下に議論してみたい(この分類は2023年8月発表の日銀レビュー「国際収支統計からみたサービス取引のグローバル化」に準拠している)。

こうした分類によると、デジタル収支赤字は今年1月、4307億円の赤字だった。これは前年同月の5126億円の赤字よりやや小さい。もっともデジタル収支赤字は月間平均で4600億円前後の赤字というイメージが定着しているため、足元で著しい改善傾向があるわけではなく「通常運転」という評価で良いだろう。

一方、旅行収支黒字にけん引されるヒト関連収支は4100億円の黒字と前年同月の2179億円の黒字から倍増している。

そのため、1月のサービス収支全体の仕上がりは5211億円の赤字と前年同月の7177億円の赤字から改善している。ヒト関連収支の大きな改善は昨年1─3月期は、まだ水際対策という名目で入国規制が敷かれていたことの「裏」が出ているだけである。公正な比較は今年4月以降の数字を待たなければ難しいことは留意されたい。

今後のイメージで言えば、月間平均で見た場合、デジタル関連収支は4600億円の赤字、ヒト関連収支は3100億円の黒字、カネ関連収支が1400億円の赤字、モノ関連収支が620億円の黒字といったイメージで走ることになり、サービス収支全体では年間3兆円─3.5兆円程度の赤字に着地する仮定が置ける。

デジタルサービスやインバウンド需要はまさに変化の途上であり、幅を持って評価する必要はあるが、第2次安倍晋三政権時代のサービス収支は年間平均で1.5兆円程度の赤字だったことを思えば、やはりサービス取引からの外貨漏出は日本経済が直面している大きな変化と言わざるを得ない。

<より重要な「新時代の赤字」>

なお、今回の本欄では割愛するが、国内保険会社の再保険支払い主導で増えるカネ関連収支は上述の通り、月間平均で1400億円の赤字を出している。2023年で言えば、約1.7兆円の赤字とヒト関連収支(約3兆円)の黒字の半分を食いつぶしているため、決して看過できる項目とは言えない。

なお、デジタル関連収支には外資系コンサルティング会社への支払いが含まれているし、一応の黒字を保っているヒト関連収支には赤字拡大が指摘される研究開発サービスへの支払いが含まれていたりする。世間で耳目を引くのはデジタル関連収支だが、サービス取引において赤字が拡大しているのはそれだけではないため、筆者はそれら諸々を含めて「新時代の赤字」と総称するようにしている。

近年の円安が止まらない背景として「新時代の赤字」が影響している可能性はないのだろうか。2024年は金利動向によってドル/円相場の方向感が規定される時間帯も増えそうだが、既述の通り、結局、水準感を規定するのは需給環境であり、引き続き国際収支分析が円相場、ひいては日本経済を分析する要諦になるというのが筆者の基本的立場である。

編集:田巻一彦

(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月) 、「ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで」(東洋経済新報社、2017年11月)。新聞・TVなどメディア出演多数。