ソロモンの頭巾 長辻象平
新紙幣が発行されて約2カ月。医学者の北里柴三郎が配された千円札を受け取る機会が増えてきた。その裏面には江戸の浮世絵師、葛飾北斎が描いた大波と富士山の絵が配されている。海外では「グレートウエーブ」の名で親しまれ、浮世絵の中で最も人気があるといわれる作品だ。
実はこの絵に北斎は、ある遊び心を込めている。200年前の江戸っ子には以心伝心の仕掛けだが、海外はもちろん、現代の日本でも理解されなくなっている。名作「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の紙幣デビューを機に、改めてグレートウエーブの謎解きをしてみよう―。
視点は江戸湾内
この絵については、場所での思い違いをしている人も少なくない。かなりの人が相模湾と思っている。
絵の左端に「神奈川沖」と書かれているにもかかわらずだ。
現代の横浜沖である。だから、舞台は江戸湾なのだが、崩れ落ちる大波の姿で太平洋を連想してしまい、左端に記された「神奈川沖」の文字に注意が向かないのだろう。
美術評論などでは手前に配された「動」の大波と画面奧の「静」の富士山の対比の妙が称賛されがちだ。構図についてはその通りだが、それで終わりの鑑賞では北斎が嘆く。
八丁櫓の高速船
この名作は初鰹(はつがつお)に寄せた浮世絵なのだ。北斎の遊び心に気付くためのヒントは3艘(そう)の船にある。大波と富士見物の船ではない。4人ずつ、両舷で計8人の人影は、船のこぎ手なのだ。
八丁櫓(はっちょうろ)の船の名は「押送船」。「おしょくりせん」の名で知られた鮮魚運搬用の高速艇。舳先(へさき)の向きからみて、江戸湾口を目指して進んでいるところだ。
江戸っ子は、この船を見るとぴんときた。湾口の三浦半島付近の海に鰹を買い付けに行くことを誰もが知っていた。そのことは当時の川柳からもうかがえる。
「初鰹むかでのよふな船に乗り」「押送りたつた七十五本積み」
ムカデのような船とは両舷に計8丁の櫓が突き出した押送船のこと。
たった75本は初鰹の数。江戸時代には、初物を食べると75日長生きする、といわれていたので、そのことを踏まえた川柳だ。
初鰹は高価だった。文化9(1812)年の旧暦3月末には、1匹3両で話題になっている。現代の12万円相当だ。
鰹の魚群は毎年、早春に九州方面に現れ、黒潮に乗って列島沿いに北上を開始する。その回遊途上の旧暦4月ごろ、相模や房総沖に到達したところを漁獲したのが初鰹なのだ。
押送船は夜明けに日本橋の魚河岸を出発。三浦半島沖の漁場で、釣りたての鰹を漁師から買い付けた。荷を積んで戻る途中で日が暮れる。夜の海上では北辰(北極星)を目印に力漕した。未明に日本橋に到着すると、待ち構えていた鰹売りが盤台をかついで掛け声を発しながら江戸の町に駆けだした。
4月も末になれば入荷も増える。値段は高いものの少し下がるので庶民はそれを待ったのだ。
海の色と空の色
北斎は押送船が乗り切る波の筋模様と色彩を、鰹の暗喩として用いている。波を描いた紺と青と水色の縞(しま)模様は「鰹縞」と呼ばれる着物の意匠。江戸時代の人々は、この縞模様を見ると瞬時に鰹の姿を脳裡(のうり)に浮かべたはずである。
江戸湾内であるにもかかわらず、これだけの大波にしたのは、初鰹大漁への景気づけだろう。江戸っ子の心意気。遠景の富士山は、被った雪の量で初夏の時節を示している。
白い雲の形も不思議。よく見れば「大」の字だ。これも大漁と結びつく。
さらに、茶色がかった空の色も気になるはずだ。黄砂の空とも思う人がいるかもしれないが、ともかく海の青さを強調する上で成功している。
だが、対比の効果を上げた、この空の色彩は、黄砂ではなく芥子(からし)味噌(みそ)の暗示のはずである。
「梅に鶯(うぐいす)かつほにはからしなり」。この七五五の句にあるように、江戸時代の鰹の刺し身は芥子味噌で賞味されていたのだ。
留守模様の傑作
これだけの根拠がそろえば、大胆な構図と波の描写で世界中の人々の心を鷲(わし)づかみにした北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の浮世絵が、金銭感覚を無視して季節感と鰹の食味を追求した江戸っ子の粋と共鳴していたことが、お分かりいただけることだろう。
江戸の芸術には「留守模様」という技法がある。主役を描かずに、関連する事物を配して主役を表現するという知的な画技だ。
例えば刀の鐔(つば)では、鯛と釣竿(つりざお)だけが彫金されたものがある。これは恵比寿神の留守模様。遠景に富士山が描かれ、手前の地面に笠(かさ)と杖(つえ)だけが置かれた「富士見西行」もある。
主役が図柄に不在なので留守模様。北斎の名作は初鰹の留守模様なのだ。
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ちなみに、グレートウエーブの「初鰹留守模様説」は引用などではなく釣魚史研究にも携わる私(長辻)が、この絵を読み解いて行き着いた結論だ。
8年前にも簡単に紹介した経緯があるが、新紙幣で日々、接することになった機会に改めて詳述しておくことを思い立った。海外の北斎ファンにも新情報としてお届けしたい。