来年度予算案の年度内成立が実質的に可能になった。日本維新の会が高校授業料の無償化と社会保障改革でそれなりの成果を勝ち取った結果だ。少数与党の石破政権にとっては、政権政党としての責任をとりあえず果たしたことになる。これは石破政権の勝利か。おそらく自民党や公明党内部にも、そうは思わない党員が多くいるだろう。高校授業料の無償化が予算成立の条件だったとしても、これに伴って変化する教育の将来展望がまったく見えてこないのだ。例えば、授業料の無償化で公立と私立の授業料格差がなくなる。授業料格差がなくなれば当然の如く私立進学の希望者が急増する。これに伴って多くの公立高校で定員割れが続出するだろう。個人的には高校教育はすべて私立に委託すべきだと思っているのだが、自民・公明・維新の執行部にはその“覚悟”はあるのだろうか。私立に任せるということは教育の多様化を容認することだ。無償化実現の先にある教育環境の激変への対応、そうした展望を踏まえた政策決定が本来の政治家の役割ではないか。

103万円の壁については国民民主と自公による3党の調整がまだ多少なりとも残っているようだ。公明党が提案した非課税枠(160万円プラス年収の壁による上乗せ)について妥協の余地があるようだ。問題は年収による壁を容認するか否か、この1点だろう。国民民主が求めたのは103万円という金額の壁の撤廃だった。この非課税枠は一律に適用されており、年収による壁は設けられていなかった。これに対して公明党が新たに提案した案は、200万円〜850万円まで4段階の年収の壁を設けようとしている。さらに実施は2年間という制限付きだ。金額の壁を引き上げようとしたら年収の壁がおまけで付いてきた。これが少数与党の“叡智”だとすれば、悪知恵と言わないまでも政権を維持するための“浅知恵”以外の何ものでもない。高校授業料の無償化では年収の壁をすべて撤廃した。新たな非課税枠では年収の壁を設けようとしている。この違いの政策意図は何か、政権与党は明確に答える必要がある。

日本維新の会は結果的に国民民主が主張した大幅減税の道を閉したことになる。党利党略を優先する現在の政治情勢の中で、維新の選択を非難しようとは思わない。強いてあげれば、野党第1党として指導力を発揮しなかった立憲民主党に、その非はあるのだろう。150近い議席を抱えながら何もできなかった、いや、何もしなかった責任は問われて然るべきだ。とはいえ、維新についても問題があるようだ。今朝の産経新聞(Web版)によると「『経験、センス、心なしの三拍子や』維新、予算案修正手続きで亀裂 根回し不足あらわに」と題した記事に党内に渦巻く批判の実態が描き出されている。「吉村洋文代表(大阪府知事)の政治姿勢に対する批判や根回し不足などで党内手続きは紛糾した」とある。勝ったはずの維新内部が混乱している。これがいまの政治情勢だろう。裏金問題で自民党にすり寄った馬場伸幸前代表を批判した吉村洋文現代表が、今度は党内批判を受けている。はてさて参院選はどうなるか、見ものだ。