トランプ氏とゼレンスキー氏の首脳会談決裂の波紋が広がっている。ゼ氏は昨日、「米の支援に期待」を表明したものの、謝罪はなく「実質外交」継続の意向を明らかにした。これに対してトランプ氏は「米国の支援がある限り(彼は)平和を望んでいない」と、自身のソーシャルメディアに投稿。単なる言葉のすれ違い、感情的な行き違いだとしても、悲惨な戦争が続いている中での両氏の決裂は深刻だ。軍事力に劣るウクライナが米国をはじめとした西側諸国に頼るのは当然の帰結。だが、「国際政治」(高坂正堯著、中公新書)によれば国家は、力・利益・価値の3つの体系で構成されている統治機関だ。こうした機関が繰り広げる国際政治は「複雑怪奇」。侵略された国家の頼るべき統治機関が、単純にその期待に応えるわけではない。そこに介在する言葉は「感謝」と「謝罪」だ。これに異を唱えることに正当性はある。個人的にはそうしたい。だが、そこに待ち構えている現実は、「トランプ氏、ウクライナへの軍事支援停止-ゼレンスキー氏と口論後」(Bloomberg)だ。

ウクライナは日本に似ている。日本は憲法で「軍事力による紛争の解決」を放棄した。ウ国に同じ憲法があるわけではないが、ソ連から分離独立した際に核抑止力を放棄、「力の体系」による統治を断念している。だから日本と同じ平和国家とみていい。日本にはアメリカの核の傘という安全保障がある。ウ国にはこれがない。停戦後を展望すればNATO加盟は必須。それが実現するまでの間、アメリカの力による保証を得たい、ゼ氏にとってはごく当たり前の願いだろう。その当たり前のことが簡単には実現しない。これが国際政治の“常識”と高坂氏なら言うだろう。トランプ氏はMAGA、America Firstを公約、これで大統領再選を果たした。それを実現するためにDOGEをつくりUSAIDを廃止しようとしている。連邦職員の大量解雇も始まっている。関税もその一環だ。米国はかつて夜警国家として、世界に君臨していた強国ではもはやない。ウ国の安全保障を確約するのは欧州だと公言している。

その欧州は英国が中心となって有志国連合を作ろうとしている。だが、ここでも頼りは米国なのだ。翻って日本を振り返る。日米安保条約の締結に踏み切った先人達は、ゼ氏のようには振る舞わなかった。核の傘の下に入るということは、国家としての独立性が厳しく制約される。そのことを理解していたのだろう。今でこそ私を含めて多くの人は、「対米服従」とか「従属外交」、「主権の放棄」など、日米同盟を声高に批判する。それを否定するつもりはないが、何かのきっかけでトランプ氏が心変わりした時、平和国家・日本はどうすればいいのか。ロシア、中国、北朝鮮という軍事大国に囲まれている国だ。何が起こるかわからない。複雑怪奇な国際政治の変転に備えて「核武装」に踏み切るか。論外だ。ではどうする?答えなどあるはずがない。よってもってウクライナを「他山の石」とし、今から備えるしか手はない。平和国家とは軍事力に代わる「力の体系」を身につける国だ。それが何か、いまは誰にもわからない。