▽日本製鉄のUSスチール買収問題でトランプ大統領が変節!?垣間見えたアメリカ人の鉄鋼業に対する思いとは?

(Kevin Dietsch /Tomohiro Ohsumi /NurPhoto /gettyimages)
トランプ大統領が4月7日、対米外国投資委員会(CFIUS)に日本製鉄のUSスチールの買収計画について再審査を命じた。バイデン政権下で同委員会は、この買収計画の審議が全会一致に至らなかったためバイデン大統領に一任し、バイデン大統領は2025年1月に安全保障上の理由から認めないと決定していた。それをトランプ大統領が再審査するようにと指示したのである。
【写真】アメリカにとってのUSスチールを読み解くにはこの人物を見よ!
変化の兆しは先の日米首脳会談から既に見えていた。トランプ大統領は石破茂首相に、買収はだめだが投資ならいいと語ったのである。しかし、それが具体的にはどのようなことを指すのかは明らかではなかった。
そもそも一民間企業の買収の計画、それも粗鋼生産高世界20位代でしかない製鉄会社の買収の話を、首脳会談の席で大統領が触れるのは異例のことである。また、米国の同盟国の企業からの買収提案について、安全保障上の理由からゴーサインを出さないというのも異例なことであった。なぜこれほど異例ずくめなのかを理解するには、米国の歴史において鉄とUSスチールが果たしてきた役割を理解することが必要である。
米国の歴史を作った鉄鋼業
いま手元にある米国の大学教養課程向けの米国地理歴史の教科書をみると、19世紀後半を扱う章の一つがピッツバーグとカーネギーの製鉄所にあてられている。その中には「ピッツバーグのスチールの線路が西部を拓き、全米を結び付けた。そのスチールで建物が建てられ、橋や都市が造られた(中略)ピッツバーグがスチールを安価にし、スチールが合衆国を造った」という一節がある。
米国人にとって自分の国の歴史を振り返った時、ピッツバーグの鉄鋼業は避けて通ることのできない存在なのだ。米国が世界一の工業国へと昇りつめていった一番勢いのあった時期、19世紀後半から20世紀半ばにかけての歴史の中心となるのがピッツバーグの鉄鋼業なのである。そしてその米国飛躍の背景には一人の野心的な男がいた。
南北戦争が終わり、米国の発展が本格的に加速すると全米をつなぐ交通網の必要性が痛感された。しかし、当時米国製の質の悪い鉄で作った線路は傷みやすく、痛ましい脱線事故が相次いでいた。だが、質の良い英国製の線路は輸入品なため、値段が非常に高かった。そこに目を付けたのがスコットランドからの貧しい移民の子、アンドリュー・カーネギーである。
カーネギーは、本を読んで独学するなど刻苦勉励し鉄鋼会社を興した。米国内で安価で質の良いスチールを生産すれば、発展しつつある国内産業はいくらでも買ってくれると考えたのである。
カーネギーの製鉄所は地の利もあって、大成功を収めた。貧しい移民が成り上がって成功し世界一の会社を造ったのである。
米国には「rags to riches(無一文から大金持ちに)」とか、そのような栄達を自分の力のみで達成する「セルフメイドマン」といった存在を貴ぶ伝統がある。カーネギーはそれを体現していた。
しかも、カーネギーの偉業はそれだけでは終わらなかった。鉄鋼業で財を成したのち、突然すべてを売り払い、フィランソロピー(慈善事業)に転じたのである。
今日でも米国各地にカーネギーの援助で出来た、図書館、劇場、大学、財団などが数多く存在する。ニューヨーク市の中心部にあるカーネギーホール、ピッツバーグのカーネギーメロン大学、カーネギー国際平和基金などが特に有名である。
貧しかったころ、篤志家がただで開放した図書を貪り読んで知識を得たカーネギーは、特に図書館に関する寄付に力を入れた。米国において1600以上、世界全体を合わせると2000以上もの図書館の建設を援助している。
「金持ちのまま死ぬのは恥である」とは彼の言葉で、家族に財産は残さなかった。フィランソロピーを貴ぶのがもう一つの米国の伝統である。
つまり貧困から身を起して成功するというセルフメイドマンの伝統と、成功した後フィランソロピーにまい進するという、アメリカの魂とでもいうべきものをすべて体現したのがカーネギーであった。
金銭ではなく、文化、心理的に受け入れられない
そのアメリカの魂を体現した人物が作った製鉄所が源流になっているのが今日のUSスチールである。USスチールは長らく世界一の鉄鋼会社であり続け、20世紀米国の発展を支えた。全米の鉄鋼生産高の3分の2を占めたこともあった。
その後、生産高は、1953年にピークに達したのち、日本などのアジアの国からの比較的安価な鋼鉄の輸出などによって低迷していった。しかし、多くの米国人の心には、米国が敵なしだったころの記憶と共にUSスチールは残っている。
その米国が世界一となる原動力となった企業を、よりによって、自分たちが開国させ、発展を助け、戦争直後には飢えからも救ったはずの「日本」の企業が、買収しようというのである。同業のクリーブランド・クリフス社の最高経営責任者(CEO)が、星条旗を掴みながら「アメリカだぞ。わきまえろ」と叫んだのが示唆的である。
日米首脳会談の直後、トランプ大統領が大統領専用機内で記者にUSスチールの問題について聞かれて、「ほかの会社ならいい、USスチールは心理的にだめだ」と答えているのが印象的である。この問題の根幹が、金銭的な問題ではなく文化的、心理的なものであることがこの発言に象徴的に表れている。
確かに日鉄の提案は、USスチールの経営者にも、労働者にも、ピッツバーグ市にも良い内容であったろう。老朽化しつつあるUSスチールの設備に日鉄が資金を投入し、最新技術も供与して、よい鋼鉄を大量に生産できるようにすることは米国産業界全体にとっても良いことであるのは間違いない。しかし、この場合はそろばん勘定で済む問題ではなかった。日鉄の提案は、相手国の文化背景や歴史を顧みない、多くの米国人の気持ちを無視したものではなかったのか。
USスチールを守り投資を得る結末か
さて、今回の再審査で対米外国投資委員会(CFIUS)はどのような結論を出すだろうか。トランプ大統領がわざわざ再審査を要請したことから前回同様ということはないだろう。
トランプは、再審査要請の2日後、「日本に渡るのは見たくない。とても特別な会社だ」と念押しした。再審査要請によって審査結果を変えるように求める一方で、子会社化までは認めるなというトランプ大統領からのメッセージではないだろか。この見方が正しいなら、100%完全子会社化という日鉄の当初案が通るのは難しいだろう。
おそらく、過半を切る株式取得であれば安全保障上の問題はないというところに落ち着くのではないだろうか。バイデン大統領が全くのゼロ回答によって米国の鉄鋼会社を「守った」ものの、それだけだったのに対し、トランプ大統領はUSスチールを守っただけでなく、巨額の投資も引き出して凄い大統領だ、という形になるのだろうか。
そうなると完全子会社化したうえで、安心して虎の子の先端技術を供与したり、日鉄の世界戦略に合わせてUSスチールの今後を計画したりしようという日鉄の思惑とはかなり離れた結末になってしまうかもしれない。日鉄にとっては不満だろうが、首脳会談での話題にまでなり、トランプ大統領が動いてこうなった以上、ならやめますということは難しいだろう。それこそ感謝の気持ちがないといわれかねない。
50%未満の株式をまず取得して、その後、実質的に支配権を握るとか、中国の製鉄会社と合弁事業をしたときのやり方を周到するなど、日鉄に秘策があると報じる向きもある。そのような秘策によってまるく収まり、ここで書いてきたような懸念が杞憂であったとなれば、それに勝る喜びはない。
日鉄が立ち尽くすことがないように
その上で問いたいことがある。日鉄はUSスチールの買収を決めたとき、これほどの反響が生じ、莫大な代償を払う可能性が生じると想定していたのだろうか。そしてそれを回避するための、撤退する場合のプランBは用意されていたのだろうか。
一つ間違うと、投資と称して多額の資金を提供させられ、先端技術も供与し、しかし、支配権が得られないまま終わってしまいかねない。買収計画を発表した2023年12月以前には戻れないにしても、バイデン大統領(当時)が禁止命令を出した時に、違約金を払っても買収を取り消しておくべきではなかったのではないだろうか。
その高額の違約金が、豆粒に思えるほどの巨額の「投資」を求められ、虎の子の先端技術すら失って、日鉄が立ち尽くすということがないことを祈るばかりである。
廣部 泉
