伊藤大輔、新田健
あの日突然、父や母を亡くし、孤児となった。東日本大震災から15年。当時の中学生、高校生らは周囲に支えられながら社会へはばたき、子どもたちに夢の大切さや教訓を伝えている。家族への思いを胸に、前を向いて生きる姿を追った。
元球児 野球で「恩返し」

母を奪った津波が押し寄せた古里は復興が進み、野球場も再建された。岩手県陸前高田市出身の自営業千田京平さん(28)(東京都新宿区)は1月、自身が運営を担う野球教室で白球を追う子どもたちに目を細めた。「野球を通して恩返しをしたい」。甲子園出場経験がある元球児の思いは熱い。
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まだ中学1年生だった2011年3月11日、地震後にそのまま避難所となった学校で母博美さん(当時46歳)を待ち続けたが、翌朝になると、教室で一人ぼっちになった。博美さんは職場の水産加工会社を出た後、行方不明に。半年たって海沿いで遺体が見つかった。
生後間もなく父宰平さんが病気で亡くなり、博美さんが一人で働きながら兄晃平さん(33)と自分を養ってくれた。買い物やごみ捨ての時もそばを離れず甘える姿に、「私がいなくなったらどうするの」と言われるほど。高校を卒業したばかりで就職の内定を取り消された晃平さんと親戚に引き取られ、毎晩のように布団ですすり泣いた。
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支えが野球だった。奨学金で花巻東高(岩手)に進んだ。自分だけ応援に来てくれる親がいない。羨ましさと悔しさが入り交じった。それでも最後の夏、主力として甲子園に出場すると、晃平さんが博美さんの遺影を手にスタンドに駆けつけてくれた。「心強かった」
都内の大学を卒業後、スポーツ用品メーカーに勤務した。昨年秋、企業などから委託を受けて野球教室を開く事業を始めた。「熱中できるものを子どもたちに見つけてほしい」と願う。地元での開催を手伝った晃平さんは「生き生きしている」と弟の強さを感じた。
11日、千田さんは天国の母に報告するつもりだ。
「もう甘えないよ。心配しないで」(伊藤大輔)
「父救えれば…」体験語る

「私は避難が遅れて津波に巻き込まれました――」
宮城県石巻市のITコンサルタント香月 昴飛 さん(32)は1月、仙台市立燕沢小の5年生を対象にした防災教室で震災体験を語った。「防災ジオラマ推進ネットワーク」(横浜市)の語り部として、段ボールの模型で津波や洪水、土砂崩れの危険箇所を学んでもらう活動に飛び回る。あの時、父を救えなかった自責の念があるからだ。
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高校2年生だった時、石巻の自宅で大きな揺れに見舞われた。祖母宅を確認してから、父泰志さん(当時48歳)の運転で海岸線を走っていると車列が詰まり、瞬く間に津波にのまれた。車外に脱出し、首まで水に浸りながら「がれきの島」にしがみついた。香月さんは安全な場所を探すため、けがをしていた泰志さんを残して泳ぎだしたが、戻ってみると、引き波に襲われた泰志さんの姿は見えず「助けてくれ」という声も聞こえなくなった。3週間後、遺体安置所で対面した。
小学5年生の時に母純子さんが病気で亡くなり、泰志さんが兄 諒来 さん(35)と自分を男手一つで育ててくれた。漁業関連の仕事をする父がさばく魚は飽きるほど食べた。思春期にささいなことでよく衝突したが愛情を注いでくれた。
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祖母にも支えられて高校を卒業後、「自分に 術 があれば父を助けられた」との強い思いから地元の消防士となった。数年後に結婚して家庭を築くと、IT関連の仕事に転職。「子どもへの防災教育が必要だ」と考えて、普及事業に取り組む団体にも加わった。同じ2児の父になって分かる。我が子が初めて言葉を口にした時、歩いた時、そうした瞬間の尊さや「子どもたちを守らなければ」という使命を。(新田健)
支援募金 今月終了…あしなが育英会
こども家庭庁によると、岩手、宮城、福島3県では東日本大震災で親がいなくなった18歳未満の孤児は242人、両親のいずれかを亡くした遺児は1569人に上った。
「あしなが育英会」による孤児や遺児を対象とした支援募金は、3月末で寄付の受け付けを終了する。15年がたち、支援を受けてきた子どもたちの多くが成人したり、自立したりしたことなどが理由という。これまで国内外の約1万3000人から寄付(金額は非公表)があり、支援金の支給や孤児、遺児らの交流会などに充てられてきた。
育英会が昨年12月~今年1月、これまで支援してきた孤児や遺児を対象に実施した調査では、回答者のうち7割近くが「震災の経験を話せる人がいたり、場所があったりして話せた」とし、孤独感が和らぐ傾向があったという。
ただ、今も「あの時の経験がフラッシュバックして苦しい」などの意見もみられ、今後も「心のケア」を中心に支援活動を続ける。