正直に告白するとトランプ大統領の評価をめぐって、個人的には大きく揺れ動いている。ある時は米メディアが指摘するように「浅薄、無知、無思慮、無政策、無思想な人物」(古森氏の原稿より引用)のように見え、「ドン・キホーテのように孤立して奇矯な人物」(同)といった評価に同調する。もっと言えば「女たらしで口先だけの思いつき大統領」と個人的には思ったりする。だが、本当にそうなのか、正直なところはよくわからない。米朝首脳会談やプーチンロシア大統領との会談、NATO首脳会談における同盟国批判、最近の米中貿易戦争や輸入自動車に関税をかけるといった強権的な発言を見るにつけ、トランプ大統領に対するマイナスの印象が積み重なっていく。

トランプ大統領の発言として個人的に一つ評価しているのは多くのメディアをフェイクとして一刀両断に切り捨てることである。トランプ大統領ほど激しくはないが、個人的にはだいぶ前からニュースの真実性を疑ってきた。フェイクといわれれば多くのニュースはフェイクである。古い話だが松本サリン事件で大多数のメディアは河野さんを真犯人に仕立て上げた。多くの人が事件発生当時、メディアによって大量に流された河野犯人説を信じて疑わなかった。筆者もそう思った。ところが真犯人はオウム真理教という狂信的な集団だった。このときメディアは心のそこから反省したはずである。だが、河野さんを真犯人に仕立て上げた構造、要するに警察情報に頼って独自に確認を取らなかった構造は変わっていない。村木厚労省女性局長の誤認逮捕でもメディアはフェイクニュースを流している。小さなニュースを含めればフェイクニュースはもっといっぱいあるだろう。

JBpressが昨日ジャーナリストの古森義久氏の原稿を配信している。その中で同氏は「トランプ氏の言動は既成の政治リーダーとは、まったく異なる。単純明快だが、粗雑である。ごく平均的な米国人たちが日ごろ口にするような言葉で、難しい国際問題や国内問題を平易に説明しようとする。そうした言葉遣いは、政治やメディアの世界のエリートとされる層をいらだたせ、怒らせ、反発させる」と。オバマ大統領に象徴される既成のエスタブリッシュメントにはない視点がトランプ氏にあることは間違いないような気がする。その視点で見たとき、今までニュースだったものはフェイクニュースにみえる。逆に言えば、既存の秩序に基づいた視点で見ればトランプ氏の言動や政策こそがフェイクということになる。問題はどちらに歴史的な正当性があるかだ。フェイクか真実か、感情を排除して真偽をみわけること。これが意外に難しい。