暗号資産(仮想通貨)ビットコインが本格的に4万ドル割れする数日前のことだ。スリー・アローズ・キャピタル(3AC)の創業者スー・チュー氏はバハマ諸島でインタビューに応じていた。まだ10年ほどの歴史しかない仮想通貨業界で著名投資家となった同氏は交換業者FTX向けのポッドキャスト収録で「絶望が多ければ買い始めることができる。絶望に身を任す必要はない」と語り掛けた。その2カ月後、3ACは破綻した。
チュー氏は同級生だったカイル・デービス氏と共に3ACを世界最大級の仮想通貨ヘッジファンドに成長させた。数十億ドルの運用規模はウォール街の尺度で見れば決して巨額ではない。だがデジタル資産の運用会社としては重量級だ。
何より2人の存在は、仮想通貨市場の複雑に入り組んだネットワークにおいて不可欠だった。3ACは幾つかの最も知名度の高い仮想通貨スタートアップのベンチャー投資家であり、場合によっては企業財務の管理もしていた。大手の融資会社から積極的に資金を借り入れ、一部貸し手の株主でもあった。傘下に誕生間もないファンドを置き、ツイッターのフォロワー数は2人合わせて61万人に上っていた。取引の仲介もしていた。
2018年後半、チュー氏はビットコインが80%値下がりした「仮想通貨の冬」が終わると正確に予測し、その名が知られるようになった。金利上昇を受けリスク資産離れが進んだ今年もビットコインは6万8000ドル余りの最高値から大きく下げたが、同氏は楽観的な見方を続けていた。
3ACは借入金でビットコインの相場回復を見越した取引に大きく賭けたが、仮想通貨の値下がりが続き、6月半ばに信用取引のマージンコール(追加証拠金請求、追い証)に対応できくなり始めた。そして、ビットコインが2万ドルを割り込む場面もあった7月1日に破産を宣言した。
米国での破産申請に関する今月8日の届け出で、3ACの清算を担当するアドバイザーは創業者2人から協力を得られておらず、2人の所在は不明だと説明。12日になるとチュー氏は「悲しいことに清算人と協力するわれわれの誠意が見世物になっている」とツイート。チュー、デービス両氏と2人の弁護士はコメント要請に返答していない。
シンガポールを本拠とする3ACの盛衰は、仮想通貨の浮き沈みと鏡映しだ。ビットコインやイーサといった幾つかのよく知られた仮想通貨の投機から始まった業界には、銀行のように2桁の利回りを顧客に提供する企業やトレーダーに融資する企業などが生まれ、相互依存の世界へと変化していった。
業界インフラの急成長は仮想通貨の値上がりと3ACの資産拡大に寄与したが、価格動向の潮目が変わった今年、3ACは破綻。相場下落を加速させた可能性もある。新たなエコシステム(生態系)の複雑さにもかかわらず、デジタル通貨の買い手は常に増え、相場は上がり続けるという単純な発想への巨大な賭けが支えだったことが露呈した。
ブロックファイやブロックチェーン・ドットコムなどの仮想通貨取引プラットフォームは3ACへのエクスポージャーを開示。3ACが6億5000万ドル(約900億円)余りの融資を返済できなかったことで、カナダ上場のボイジャー・デジタルは経営破綻した。同社の顧客には一般投資家も多いが、顧客は口座を凍結され、資産を全て取り戻せる可能性は低い。音楽が鳴りやみ分かったのは、アルケゴス・キャピタルやロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の仮想通貨バージョンのような企業に大半が貸し付けていたということだ。
狂気じみた取引
仮想通貨の長所は透明性だとされている。取引は公開のブロックチェーンデータベースに記録され、多くの取引がオープンソースソフトウエアのルールで管理されている。だが、3ACのような借り方は、一般的なヘッジファンドが信用に基づき銀行融資を受けるのと大差ない。3ACは財務について多くを開示せず、最大級の仮想通貨貸付会社から借り入れていた。
オンライン上のチュー、デービス両氏の人物像は「株式を取引するのはベビーブーマー世代だけ」とツイートするようなポピュリスト的なビリオネアだった。ただ、2人がこうした狂気じみた取引をすると考えていた専門家はいなかった。あるトレーディング会社幹部は匿名を条件に、2人が「デゲン(degen)」であることが分かったと述べた。デゲンとは悪い賭けにはまり込むトレーダーをやゆする仮想通貨市場のスラングだ。
少なくとも1つのケースで、3ACは貸し手と詳細な情報の共有することに抵抗していたようだ。仮想通貨貸し付けのホドルノートが開示したテキストメッセージによれば、デービス氏は今年5月に担保なしでの借り入れを求めてきた。3ACの借り入れを仲介していたTPSキャピタルを通じての要請だった。ホドルノートが貸し出し要件を提示したが、3ACは監査済みのバランスシートを開示せず、その代わりに純資産価値(NAV)に関する資料を提供。NAVは自己申告であり、投資内訳もない資料で、ホドルノートは取引を断ったという。
仮想通貨ヘッジファンド、パンゲア・ファンド・マネジメントの共同創業者ライアン・ワトキンス氏は「3AC破綻について最も驚いたのは、そもそもなぜこれだけ大きなレバレッジをかけることができたのかということだ」と語った。「3ACが巨額の資金借り入れができたのも、業界にパニックが広がったのも、透明性の欠如が理由だ。誰のエクスポージャーか、どれほどひどかったのかは誰にも分からない」と話した。
振り返れば、3ACは常に謎だった。ファンド自体は英領バージン諸島にあるが、顧客資金の運用免許はシンガポールで取得。さらに複雑なことに、3ACはデファイアンス・キャピタルとスターリー・ナイト・キャピタルといった2つのファンドを保有。デファイアンスには外部投資家がおり、創設者は独立して運営していると主張しているが、その構造を踏まえれば同ファンドの今後は不透明だ。
シンガポール通貨庁(MAS、中央銀行)は6月30日、虚偽情報を提供し運用資産の限度額を超えたとして3ACに対するけん責処分を行ったが、罰金などの制裁は科さなかった。3ACは破綻前、仮想通貨業界を歓迎してきたアラブ首長国連邦(UAE)のドバイへの移転を探っていた。ほんの2カ月前にUAEのアブダビで開かれたセコイア・キャピタル主催の会議でチュー、デービス両氏は世界最大級のベンチャーキャピタルや政府系ファンド(SWF)の関係者と会っていたと事情に詳しい関係者は述べた。
事情を直接知る関係者によると、3ACの事業が危うくなり始めると、両氏は幾つかの仮想通貨交換業者の幹部と会い、救済の可能性を巡り協議したが、うまくいかなかった。仮想通貨市場は現在、世界経済と同様、与信サイクルの古典的な下降を経験している。事業を始めたり住宅を買ったりするためローンが組まれる現実の世界とは異なり、仮想通貨レバレッジの需要はほとんど投機だ。
最大級の仮想通貨マーケットメーカー(値付け業者)であるウィンターミュートの創業者エブゲニー・ガエボイ氏は「誰もが気付いたのは、仮想通貨は以前と比べはるかに外の世界と相関しているということだ。3ACのような多くの集中型事業体はこのサイクルの勢いをさらに悪化させる。こうした事業体は全ての数値を本来よりもはるかに高くしている」と述べた。
元デリバティブトレーダー
米マサチューセッツ州の名門校フィリップス・アカデミーを経てコロンビア大学を卒業したチュー、デービス両氏は、クレディ・スイス・グループの東京拠点でデリバティブ(金融派生商品)取引の経験を積んだ。12年、20代半ばだった2人は自分たちのヘッジファンドを開始。新興国通貨デリバティブの価格ギャップに着目した取引を手掛ける小規模の事業だった。
16年にデジタル資産取引が本格始動すると、価格ギャップから利益を得る機会が、仮想通貨市場ではさらに多くあることに気付いた。21年にはビットコイン先物がスポット価格を50%上回る水準で取引され、単純な裁定取引で大きな利益を確保できたこともあった。先物売り、スポット買いといったウォール街の古典的な手法だ。
3ACの元従業員によると、デービス氏は主に渉外担当、チュー氏はアイデアマンだった。チュー氏の理論は「スーパーサイクル」。つまりブロックチェーン上の分散型インターネットで展開されるテクノロジー革命が後押し、価格上昇が続くというものだ。知人らによると、2人はプライベートな食事会やグループチャットでもこうした強気な考えを主張し続けていた。デービス氏に5月に会い、メディアに話す権限はないとする関係者1人によれば、同氏は当時もビットコインとイーサを信用取引で買う話をしていた。
ベンチャーファンド、ドラゴンフライ・キャピタルのマネジングパートナー、ハシーブ・クレーシー氏は「元為替トレーダーであるにもかかわらず2人がこうしたことを本気で信じていたようで驚いている」と述べた。「特にマクロのプレッシャーに屈しているこうした市場で、2人は愚かで見当違いも甚だしかったようだ」との見方を示した。
チュー氏は5月、自身のスーパーサイクル理論を「遺憾ながら間違い」だと認めた。6月15日には自身とデービス氏が「この取り組みに完全にコミット」しているとツイート。その時までにチュー氏はツイッターのプロフィル欄から崩壊したステーブルコイン「テラUSD」の関連トークン「ルナ」などのハッシュタグをひそかに削除していた。だが最上部の写真は変わっていない。3本の矢に「UP ONLY(上がるだけ)」という言葉が添えられている。
原題:The Collapse of Three Arrows Capital Became a Crypto Contagion (抜粋)