[8日 ロイター] – 脱成長―。地球は有限なので無限の消費拡大を支えられないというこの理論は、成長こそが繁栄に至る最善の道だという考え方が支配的な経済学の中で、異端中の異端とされる。

しかし、気候変動が加速し、サプライチェーン(供給網)の混乱で先進国の消費者がモノ不足という慣れない経験を味わった今、この理論は以前ほどタブー視されなくなりつつある。脱成長の世界がどんな姿になるかについて、深く思いを巡らせる人々も出てきた。

国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は今年の報告書で、消費需要を減らす必要性を訴えた。消費抑制は脱成長理論の根幹だ。

続いて「ダボス会議」を主催する世界経済フォーラムは今年6月、脱成長に関する手引き書を発行し、投資関係のリポートにもその引用が顔を出すようになっている。

ジェフリーズのESG持続可能性ストラテジー・グローバル責任者、アニケト・シャー氏は6月13日に出した「脱成長の機会」と題するリポートで「これは挑発的な言葉だ」と指摘した上で「だが、低所得国に行って『あなたがたはもう成長できない』と告げる、といった話ではない。われわれはシステム全体を見渡し、消費と生産の合計量を長期的に減らす方法を考える必要がある」と記した。

脱成長は1972年にフランスで生まれた言葉だ。同じ年に発表された「成長の限界」という報告書で、物質消費の拡大によって世界が不安定化するとした米マサチューセッツ工科大学の科学者らによるシミュレーションが紹介されると、この理論の支持者が増えた。

脱成長理論は当初から激しい議論を呼んだ。シミュレーションに欠陥があると攻撃される一方で、地球のストレスが加速することを不気味なほど正確に予言していたと賞賛する人々もいる。

ここ数十年間、世界経済は炭素排出量の増加を上回るペースで成長を遂げてきた。とはいえ、この2つのデカップリングは炭素排出量を減少に転じさせるほどではなく、地球温暖化の進行を許してしまった。

IPCCは今年4月の報告書で、炭素排出量を減らすには消費者需要を減らすしかないと結論付けた。持続可能な燃料技術開発に重点を置いていた従来の姿勢からの転換だ。

「生物多様性および生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)」は今年7月の総会会合に出した報告書で、代替的な経済モデルの1つに脱成長を加えた。

報告書の共同座長を務めたウナイ・パスクアル氏は、ロイターに対し「本会議では『脱成長』という言葉さえ問題視されなかった。これは非常に興味深いことだ」と話した。報告書は中国、インド、ロシア、米国などを含む139カ国の承認を得た。

世界経済フォーラムが6月に発表した手引き書は脱成長について「先進国の人々が食事の内容を変え、より小さい家に住み、自動車の運転や旅行を減らすことを意味するかもしれない」と指摘している。

<脱成長ファンド>

ジェフリーズのシャー氏は、そうした行動変容が脱成長に即した投資ポートフォリオを生み出すのではないかと考えている。

「例えば、ズームは自社の株式が『脱成長株』と呼ばれるのを望んだことがあるだろうか。ないだろう。だが、オンライン会議の利用が増えた世界では、移動によって大量の炭素を排出する出張が減るのは確かだと考えられる」とシャー氏は説明した。

移動手段やファッションのシェアリングといったサービス、化石燃料から再生可能エネルギーへの移行を可能にする技術、さらには単なる自転車関連の株式や債券でさえも「脱成長ファンド」に組み込めるかもしれない。

もっとも、ESG(環境、社会、統治)ファンドや、その投資対象となる企業が、どの程度まで「脱成長」に適応する用意があるかは分からない。脱成長理論は、利益よりも社会、環境その他の非金銭的価値を明確に優先するものだからだ。

新規ビジネスの持続可能性問題を研究するジェニファー・ウィルキンス氏は「脱成長は真の持続可能性を目指すものだ」と指摘。「地球に限界がある中で、人類のニーズを満たすのに必要な事を実現するのが脱成長だ。現在のESG投資家は地球の限界をよく理解していない。(注視しているのは)ビジネスへの影響だ」と言う。

それも驚くにはあたらないだろう。

ヒマラヤの小さな王国・ブータンが国内総生産(GDP)に代わって「国民総幸福量」という指数を編み出したのは有名だし、日本は環境負荷を踏まえた新たな成長率指標、「グリーンGDP」の試算を始めた。

だが、経済政策と金融市場は今も圧倒的に、消費拡大と生産拡大の「二人三脚」で動いている。

長年にわたってこうした経済モデルを批判してきたエコノミスト、ティム・ジャクソン氏は、成長を巡る現在の議論は、さまざまな考え方が張り合って「混乱を極めている」と言う。

例えば、ジョンソン英首相の後任を決める与党保守党の党首選では、経済成長「まっしぐら」路線が当然のこととして受け入れられている。

一方で、もっと環境意識の高い欧州大陸の政治家は、個人的には成長限界論を受け入れながらも「市民をびっくりさせないため、言い方を変えようとしている」という。

「成長なき繁栄」(2009年)の著者であるジャクソン氏は、コロナ禍に伴うロックダウンとロシアに対する西側の制裁では、安全衛生もしくは地政学的な目標という課題が、消費よりも優先される構図になったと解説する。

同時に、人口高齢化から貿易保護主義、改革の不在に至るさまざまな理由から、「ポスト成長」に近い状態に入る可能性のある国もある。

これは「失われた数十年間」を経験した日本がたどった運命だ。ドイツも、輸出主導型でエネルギーショックに弱い経済を早急に改革しなければ、同じリスクがあると一部のアナリストは指摘する。

ジャクソン氏は「特に先進国は、あらゆる意味で持続的な成長が見込めそうもない状態に既に移行しつつある。この状況に対処できる経済学を持たなければ、うまく乗り切れる可能性は極めて乏しい」と語った。

(Federica Urso記者 Mark John記者)