門間一夫 みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト
[東京 2日] – 10月の消費者物価指数(除く生鮮食品、コアCPI)の上昇率は前年比3.6%となった。消費税率引き上げの時期を含めても40年ぶりであり、年内の4%台が現実味を帯びてきた。
それでも日銀は、2%物価目標は達成のめどが立っていないと言う。筆者も同意見である。「2%物価目標の達成」とは、2%程度のインフレが持続的・安定的になること、それが空気のように国民生活に溶け込んだ状態になることである。今は2─3%のインフレで国中が大騒ぎになり、メディアはそれを連日報道し、政府は物価対策に取り組んでいる。とても「空気のように溶け込んで」はいない。
<2%物価目標は3%賃金目標>
2%インフレが当たり前になるには、それ以上の賃金上昇が当たり前になる必要があり、日銀は3%程度の賃金上昇が望ましいとみているようだ。厳密には3%ではないかもしれないが、「2%物価目標」を「3%賃金目標」と置き換えて考えれば、日銀がなぜ金融緩和をやめないのか理解しやすい。
日銀の言う賃金とは、経済全体でみた平均賃金のことである。それが3%上昇するには、定昇分を含む春闘の賃上げ率は5%近くになる必要がある。来年の春闘で連合は5%程度を要求する方針だが、実績は要求を大幅に下回るのが常である。来年も「3%賃金目標」つまり「2%物価目標」は達成されない可能性が高い。
<頭の体操をしておく意味はある>
筆者は少し前まで、2%物価目標が数年以内に達成される可能性は万に1つもないと考えていた。実際に、今述べた賃金に着目すれば、目標到達の展望は依然として暗い。足元の賃金上昇率は月々の振れをならせば1%台半ばであり、3%に遠く及ばない。
しかし、それでも1%台半ばというのは、過去30年間で最も高い部類に属する。日銀短観の雇用判断DIなどからも、労働需給の引き締まりが確認できる。今後、インバウンドの復活も含めて経済の回復が本格化すれば、人手不足はかなり深刻化するのではないか。
そこに40年ぶりのインフレが心理的な影響を及ぼした場合、ひょっとしたら日銀の悲願達成という可能性も、皆無とは言えなくなってきた。仮に異次元緩和の「出口」が来るとしたら、いつどのような形で訪れるのか、頭の体操ぐらいはしておく意味がありそうだ。
ほぼ確実な点から言うと、2023年の春、総裁交替の瞬間に日銀の姿勢が一変する可能性は小さい。10年前の2013年は異例中の異例であり、あの時は金融政策が「アベノミクスの先兵」として、世の中のムードを変える役割を担った。
今は政治も経済政策も非連続な変化が起きる状況ではなく、次の日銀総裁が「レジーム・チェンジ」のミッションを背負う可能性はほぼない。誰が新総裁になっても、黒田東彦総裁からのバトンの受け渡しは連続性のあるものになるだろう。
経済・物価情勢からみても、来年の春は2%物価目標達成が見えてくるタイミングではない。春闘の結果が相応に強かったとしても、それがマクロの賃金にどう反映されるのか、その確認をできるのは夏以降になる。かつ、それが今年限りのものではなく、2024年以降の賃上げにもつながりそうかどうか、日銀は丁寧に分析しなければならない。
CPIそのものについても、これまでの国際商品市況高騰や円安の影響が薄れる来年半ば以降、どの程度の上昇圧力が残るか見極める必要がある。
もう1つ重要な点として、2023年前半は米欧を中心に世界同時不況となる可能性が高い。世界経済が底を打ち、つれて日本経済の下振れリスクが十分に小さくなるまで、日銀が利上げの議論を始めるのは容易ではない。
これらを踏まえると2023年中は、2%物価目標への希望がつながっていることを確認するのが精いっぱいであり、いわば「1次試験」の段階に当たる。それに合格して初めて「2次試験」へ進めるのであり、その試験内容は2024年の春闘も踏まえた持続的な賃金・物価上昇圧力の評価になる。2次試験の結果が出るのは早くて2024年半ばであり、仮に日銀が出口へのパスポートを手にできるとしても、それは2024年後半以降になろう。
<「出口」の前に「枠組み修正」か>
仮に日銀が出口に進むことになった場合、そのやり方はどのようなものとなるだろうか。普通の金融政策の場合、利上げを事前に市場に織り込ませ、実際の利上げがサプライズにならないようにする。利上げが引き起こしうる金融市場の急変動を避けるため、市場に事前準備を促すのが近代金融政策の常道である。
ところが日銀は現在、イールドカーブ・コントロール(YCC)という異例の政策手段を使っている。これだと、事前のコミュニケーションという「利上げの王道」は歩めない。
理由は単純である。中央銀行が市場に「利上げを織り込ませる」とは、具体的には「今後は短期金利を引き上げますよ」という合図を送って長期金利を予め上昇させることである。これは、長期金利を固定するYCCと真っ向から矛盾する。
長期金利自体をコントロールする政策の場合、「利上げ」=「長期金利の引き上げ」なので、事前に織り込ませることは定義上不可能である。
さらに言えば、もしも市場が事前に利上げを察知した場合、その瞬間に長期金利に猛烈な上昇圧力がかかり、日銀はYCCのためにそれを強引に抑えつけるので、国債市場は崩壊する。
そう考えると、日銀は事前に透明な情報発信をできないどころか、「利上げは全く考えていない」とあえてうそを言い続けなければならない。しかし、それだと実際に利上げが決定された際、日銀の言葉を信じて国債を保有し続けた投資家が損をする。これは日銀のレピュテーションを傷つけるばかりか、その後は日銀の言葉が信用されなくなり、日銀が何を言おうと次の利上げを巡る投機がただちに活発になる。
こうした難しさを踏まえると、例えば10年金利の上限を現行の0.25%から0.5%に引き上げるような出口の進め方は、日銀にとって危険な選択である。
それよりはいっそ「枠組み修正」をしてしまう方が、出口は円滑になるだろう。具体的には「短期が-0.1%、長期がゼロ%程度」という現行のYCCを撤廃し、短期金利のみをゼロ%程度で推移させる普通の「ゼロ金利政策」へ転換する案が考えられる。
転換の際には、1)短期金利はしばらく現状維持とするフォワードガイダンス、2)長期金利の急変動が起きないよう国債を柔軟に買い入れる運営方針──の2つを併せて宣言するのが良い。
いずれにせよ、出口と相性の悪いYCCをまずやめて、新しい枠組みのもとで出口に向かう方が、金融市場の混乱を回避できる確率は高まると思う。
ただし、この枠組み修正にも弱点がある。長期金利の市場実勢がかなり高くなってからだと、フォワードガイダンスや柔軟な国債買い入れをもってしても、長期金利の急上昇回避が難しくなることである。
ならば枠組み修正だけは、なるべく早く済ませておく方が良い。その後、短期金利を徐々に引き上げる出口政策に実際に進むかどうかの判断は、2%物価目標の達成状況をじっくり見極めながら行えばよい。
その意味での本当の出口は、あるとしても前述のとおり2024年の「2次試験」後になるだろう。しかし、枠組み修正はそれと切り離して前倒しで済ませておくのが賢明である。枠組み修正は出口を約束するものではなく、あくまで長期金融緩和の副作用対策だと説明すれば、景気の下振れリスクが気になる段階でも実行可能である。
動いた場合の誤解や批判を恐れて異次元緩和を徹底的に引っ張るか、ひょっとして出口といううれしい誤算にも備えておくか。新総裁が最初に悩むのは、この二択ではないか。
編集:田巻一彦
*門間一夫氏は、みずほリサーチ&テクノロジーズのエグゼクティブエコノミスト。1981年に東京大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。86年に米ウォートンビジネススクール留学。調査統計局長、企画局長を経て、12年に日銀理事(13年3月まで金融政策担当、以降、国際担当)を歴任。16年に日銀を退職し、みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミスト。21年4月から現職。