小林 宏之

完成した駅舎とディーゼル機関車=令和7年10月26日、兵庫県宍粟市波賀町上野(小林宏之撮影)
完成した駅舎とディーゼル機関車=令和7年10月26日、兵庫県宍粟市波賀町上野(小林宏之撮影)

全国でローカル鉄道の存廃が議論されているご時世に、新しく線路を敷き、機関車を走らせて活気づくまちがある。兵庫県宍粟(しそう)市波賀町。林業で栄え、かつては木材を運ぶ「波賀森林鉄道」(林鉄)が延べ40キロ以上にわたり敷設された。昭和40年代までにすべて廃線となったが、この産業遺産を地域活性化の起爆剤にしようと住民らが一念発起し、数年間をかけて林鉄を〝復活〟させたのだ。軌道の長さは678メートル。待望の駅舎も昨秋完成し、鉄道のないまち・宍粟市の新たな観光列車として今月中旬から本格的な定期運行に取り組む。

678メートルに延伸されたコースを走るディーゼル機関車=令和6年10月26日午後、兵庫県宍粟市波賀町上野(小林宏之撮影)
678メートルに延伸されたコースを走るディーゼル機関車=令和6年10月26日午後、兵庫県宍粟市波賀町上野(小林宏之撮影)

最盛期に7路線の「ドル箱」

淡路島より広い面積を持つ宍粟市は、市域の9割が森林が占める。中でも波賀町は県内最高峰の氷ノ山をはじめ千メートル級の山が連なり、豊富な森林資源を擁していたため大正5年から林鉄の建設がスタート。最盛期には7路線が張り巡らされて大量の木材を搬出し、現地の森林運営を監督していた国の出先機関・大阪営林局の「ドル箱」と評されたという。その後、林業は衰退し、輸送手段もトラックに変わるなどして昭和43年にその役割を終えた。

一方で、平成17年の宍粟市への合併時には約4800人いた波賀町の人口が約10年で2割減少した。危機感を抱いた住民らは「波賀元気づくりネットワーク協議会」を平成28年に設立。「林鉄で観光客を誘致できないだろうか」と考えていた松本貞人会長は、主要な活動方針として「波賀森林鉄道復活プロジェクト」を打ち出した。

波賀森林鉄道復活の立役者、松本貞人さん=3月14日、兵庫県宍粟市波賀町上野(小林宏之撮影)
波賀森林鉄道復活の立役者、松本貞人さん=3月14日、兵庫県宍粟市波賀町上野(小林宏之撮影)

「軌道延ばすって本気?」

「夢を現実に」を合言葉に掲げた松本さんら。機関車の入手・展示▽林鉄の遺構ツアー実現▽レールの敷設と体験乗車-を「復活へのプロセス」と位置づけて活動を進めていく。

平成30年、林鉄の路線の一つ「中音水線」跡を探索し、山中に残っていた橋脚や切り通しなど遺構が現存していることを確認。令和2年には、国土交通省立山砂防事務所(富山県立山町)で活躍していた砂防作業用のディーゼル機関車が自治体向けの競売に掛けられたことを知り、宍粟市の協力を得て入手に成功するなど着々と「夢を現実」にしていった。

そして令和5年には、同町のレジャー施設「フォレストステーション波賀」の敷地内に108メートル分の周回軌道を敷設。機関車をその軌道上に載せた。さらに翌6年には周回軌道を延伸させ、全長678メートルの路線が完成。木立の間をゴトゴトと走るかつての森林鉄道を彷彿(ほうふつ)とさせる光景が再現されることとなった。

こうした夢の実現には、地元住民だけでなく全国の鉄道ファンらボランティアも大きく貢献している。

「『軌道を延ばすって本気か?』と思いましたよ」と話すのは、機関車購入の頃から復活プロジェクトに注目している阪急電鉄勤務の青木武司さん。何度もボランティア活動に参加し、作業を手伝ってきた。「現役の鉄道マンたちはぜひここの熱意を見にきてほしい」と話す。

4月19日から定期運行

昨年10月、コースの一角に待望の駅舎が完成した。協議会では建設費調達のため初めてクラウドファンディングに挑戦。目標額の500万円を上回る751万円が集まり、駅舎の壁に協力者名を明示した。

 昨年6月から試行的に始めた有料の定期運行は1200人以上の乗客を乗せ、上々の人気ぶり。冬季の運休期間を経て、今月19日から定期運行を再開する。協議会では「完成した駅舎を活用した定期運行を本格的にスタートさせる」と位置付ける。

計画では、11月22日まで原則毎月第1、3日曜に運行する予定(8月は休み)。このほかにイベント運行やリクエスト運行などの特別運行なども実施する。

松本さんは「多くの観光客に楽しんでもらいたいが、何よりも地元の子供たちが林鉄のことを心に刻み、自分たちのまちに誇り、愛着を持ってほしい」と期待する。

産業遺産学会理事の鈴木敬二・兵庫県立歴史博物館長補佐は「国内では多くの森林鉄道が活躍したが、近畿ではその事例が少なく貴重な産業遺産。廃線跡は気軽に探索できる状態ではないので観光列車としての復活運転は、当地の歴史に触れることができ、意義がある」と評価している。(小林宏之)