河野防衛大臣が地上配備型の迎撃ミサイル、イージス・アショアの配備計画の停止を発表してから、この問題をめぐる議論が活発になっている。要は外敵のミサイル攻撃から日本をどう守るか、論点はこの1点にある。イージス・アショア配備の背景には北朝鮮の中距離ミサイルが従来の「弾道ミサイル」から、「巡航ミサイル」に移りつつあるという事実がある。綺麗な放物線を描いて落下する弾道ミサイルは迎撃しやすい。これに対して水平軌道をランダムに飛行する巡航ミサイルは迎撃しづらい。イージス・アショアはPAC―3など弾道ミサイル中心に対応っする防衛システムの弱点を補うものとして配備が決まり、秋田県と山口県で配備に向けた準備が進められてきた。
その計画を河野大臣は突然「停止する」と発表した。停止の理由は迎撃ミサイルを発射するときに使用するブースターが「狙ったところに落下させられない」ということである。政府はこれまで自衛隊の敷地内に落下するので、「安全性に問題はない」と説明してきた。しかし、現実はどうやらそうではないらしい。狙ったところに落下させるためには莫大な開発費と時間が必要になる。費用対効果を考えると改善策は合理的ではない。よって計画そのものを停止するというのが河野大臣の判断だ。この説明は山口県や秋田県の関係者、あるいは日本国民にとって理解しやすい説明というに過ぎない。決断の裏には秘められた、かなり重要な“決意”があるような気がするのだが、河野大臣はそれを一切口にしない。
迎撃ミサイルの発射は、例えば、北朝鮮が核を搭載した巡航ミサイルを東京に向けて発射したような場合である。発射それ自体が非常時の行為である。国民の側から見れば、核弾頭が日本に着弾するより迎撃ミサイルのブースターが民家に落下した方がまだましだ。ブースターの落下地点など誰も問題にしない。だから、政府も迎撃ミサイルは安全であると公式的には言い続けてきた。ところが河野大臣は、「ブースターが民家に落下する可能性がある」と非常時ではない平和な日常生活に安住する国民が理解しやすい「平時の理論」を持ち出して計画停止に踏み切った。もちろん非常時の理論は百も承知だろう。イージス・アショアを停止した途端に日本の抑止力に穴が開く。それを補うように「敵基地攻撃能力」の保有論議が俎上にのぼる。こうした議論と大臣の決断は関連があるのかどうかわからない。だが、河野大臣の発言それ自体が「蟻の一穴」のような気がする。
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