きのうこの欄で米国の保守系テレビ局を解雇されたタッカー・カールソンのメディア批判を取り上げた。ついでというわけではないが、日本のメディアウォッチャーの第一人者、下山進氏のメディア批判を以下に紹介する。いま読んでいる「2050年のジャーナリスト」に出てくる一節だ。字数の制約があるため多少つまみ食い的になっている。多少長いが、備忘録として書き留めておく。インターネットが登場する以前、日本のメディア業界は金融業界と並んで給料が高かった。それを指摘した上で下山氏は、ひ弱な日本のメディアの実態は“過保護”だと強調する。「金融とマスコミの給与がいいのは、『優秀な人たちが行くからだ』と当時私はおめでたくも信じていた。だが、(実態は)規制に守られていたからだと知ったのは、ずっと後のこと、90年代後半のことだった。90年代後半に金融の規制が次々と緩和されたことで、起こった業界の激変を目の当たりにしたからだった」

金融自由化の結果、何が起こったか。「北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行などが破綻、13あった都市銀行は3系列に整理される。証券でも三洋証券、山一証券が破綻し、その歴史を終えた。さて、メディアはどうか?メディアに関していえば、1950年代に作られた規制がいまだに撤廃されていない。たとえば新聞と出版は、独占禁止法の適用除外をうけ、小売の価格を日本全国どこでも同じ値段にすることができる。新聞はさらに日刊新聞法によって、株式の譲渡に制限がかけられる。いま日本新聞協会加盟の日本のほとんどの新聞社が、定款によって、株主を社員や新聞業界にかかわるものとし、株の譲渡を制限している。放送に関しては免許制で、誰もが始められるわけではない。そして日本語という非関税障壁があるから大丈夫と言われてきた。これらは高い参入規制となって、海外や異業種からの参入を阻止してきた」。要するに厳しい競争環境から除外されているのだ。

セブン&アイ・ホールディングスは米国のアクティブ投資家によって社長解任決議が突きつけられた。日本のメディアにはその心配がまったくない。楽な業界なのだ。ぬるま湯の中にいると言ってもいい。過保護ともいうべき環境の中で言論と報道の自由を謳歌している。免許制のテレビ業界は超割安な電波利用料しか払っていない。欧米は入札で利用者を決めている。必然的に利用料はバカ高くなる。これに比べ日本のメディアは明らかに“過保護”だ。過剰保護と言ってもいいだろう。その結果はどうなったか?横並びの報道、競争回避の馴れあい、真実の追求を避けた事なかれ主義の蔓延、権力への忖度、役所の代弁、特ダネと称したドングリ級の自慢合戦。見るからにひ弱で、記事自体が面白くない。下山氏がこの一文を認めたのは2021年1月だ。いまも状況は何一つ変わっていない。私が日本のメディアを信用しない理由がここにある。朝日新聞を筆頭に日本の新聞社の発行部数は激減している。当然だろう。