生命の設計図を操るゲノム編集。その最新技術「CRISPR(クリスパー)/Cas9(キャスナイン)」の開発が、今年のノーベル化学賞に決まった。DNAの狙った部分をピンポイントで変えられる技術で、農作物の品種改良や、病気の治療への応用研究が広がりつつある。

 山本卓・日本ゲノム編集学会長・広島大学大学院統合生命科学研究科教授(ゲノム生物学)は「ゲノム編集はこれまでにもあったが、効率的に編集できるクリスパーキャス9は大きく違う」と話す。微生物や植物では、品種改良などに使うことができ、しかも安価だ。

 山本さんによると、クリスパーキャス9が報告された2012年から、研究は大きく加速した。米国や中国では、治療への応用研究も進んでいるという。

 ゲノム編集の医療応用を研究している大森司・自治医大教授(遺伝子治療)は、「ゲノム編集という意味では、ほかにも先行技術があるが、2人の発見を応用した技術は圧倒的に簡単で、迅速にだれでもできるものとして基礎研究分野に急速に広まった。さまざまな研究でゲノム編集が利用できる道を開いたインパクトは大きい」と評価する。

 農作物から医療まで、数多くの分野で応用が期待される技術だ。最近では創薬の可能性が高まっている。

 受賞が決まったジェニファー・ダウドナ氏らと研究を競い合ってきた濡木理・東京大大学院理学系研究科教授(構造生物学)は、ゲノム編集による創薬ベンチャーの取締役も務める。濡木さんは「マウスなど動物レベルでは実際に筋ジストロフィーなどの遺伝子疾患が治っている」と話す。受賞した両者も貧血に関する治療法などの開発を進めているという。

 ゲノム編集による治療の開発が加速する可能性も秘める。濡木さんは「薬だと、代謝経路などが違うので、マウスで効くからヒトでも効くとは限らない。だが、遺伝子に直接働きかけるので、マウスでうまくいけば基本的にはヒトに応用できる」と話す。

 大きな期待を集める研究だが「遺伝子という生命の設計図をいじれるようになったというのは、人が今まで踏み込めなかったところまできた」(濡木さん)技術なだけに、懸念もある。

 スウェーデン王立科学アカデミーは受賞の研究内容を詳細に伝える文書の最後で「この技術の力は、深刻な倫理的・社会的問題を提起している」と指摘。責任を持って使われることが最も重要だとした。山本さんは「ヒトの受精卵でゲノム編集するといった倫理的問題も抱えており、まだノーベル賞の受賞には時期が早いかもしれないとも感じていた」と話した。

 狙った部分以外も改変されてしまう恐れも指摘されている。遺伝子はその子や孫にも受け継がれるため、数世代にわたる影響を考える必要がある。病気の治療だけでなく、将来的には容姿や知能、身体能力などを高めることに使われる可能性もある。

 2018年秋には、中国の科学者が「受精卵をゲノム編集し、赤ちゃんを誕生させた」と発表。特定の遺伝子を改変し、エイズウイルスに感染しにくくしたという。安全性の確認や倫理面での検討が不十分なまま、世界初となるヒトへの応用について、世界中から批判を浴びた。

 受精卵のゲノム編集に関するルールは、国によって異なる。フランスやドイツは遺伝子を改変した受精卵での出産を法律で禁止。中国は指針で禁じ、違反すると罰金や資格停止の可能性がある。世界初の応用例は、前述の中国の一例だけとされる。日本は現在、法規制を含めたルール作りを急いでいる。