「下手の考え休むに似たり」ー自分でもそう思う。だが、狂気のプーチンがウクライナを侵略、何の罪もない多数の市民を無差別に殺戮している現実を目にすると、ど素人はど素人なりに考えざるを得なくなる。日本の防衛はいいかにあるべきか。懸案となっていた敵基地攻撃能能力の導入は是か非か。きのう自民党の安全保障調査会(会長・小野寺五典元防衛相)がこの問題に関する報告書をまとめた。ポイントは①攻撃能力を反撃能力に置き換える②防衛費のGDP2%以上を目指す③武器輸出三原則も見直すーなど。核兵器の持ち込みを禁止した非拡三原則にも関わってくる。憲法に象徴される平和主義、憲法改正、財政再建など日本が直面するあらゆる問題と深く関係している。国際環境の変化がこうした議論を必要としている面もある。ぬるま湯に浸り切った日本人。「下手の考え」から脱却できるか、何となく心配になる。
敵基地攻撃能力というのは、日本に攻撃を仕掛けてくる相手国のミサイル発射基地などを攻撃する能力のことを指す。「攻撃能力」という言葉を使うと国際的にも誤解を招く恐れがあるとの気遣いから、敵の攻撃に「反撃する」という意味で「敵基地反撃能力」に用語を改めるとしている。日本的な表現といえばいえなくもない。だが、言葉遣いで国際社会が納得するとも思えない。要は「反撃能力」が抑止力になるかどうかだ。専守防衛を基本とする日本の防衛システムではこれまでも、敵国に存在するミサイル発射基地への反撃能力は認められてきた。だが、北朝鮮の極超音速滑空兵器を持ち出すまでもなく、移動可能な車両など固定されていないところから発射される兵器が常態化しつつある。こうした状況の変化に対応するためには、軍の司令部や通信施設、輸送部隊(移動部隊)などへ攻撃対象を拡大しないと、専守防衛もおぼつかない。だから対応可能な敵基地反撃能力を整備すべきだとしている。
これが抑止力になるかどうかわからない。要するに反撃するための兵器の良し悪しに関わってくる。それを保持するためには莫大な費用がかかる。財政逼迫の折、そんな余裕が日本にあるのか。抑止力である以上、使うことが前提になる。専守防衛といえが聞こえはいいが、戦争そのものであることに変わりはない。米国の核の傘の下でぬるま湯に浸りながら平和な時を過ごしてきた日本人。意識だけでも戦争を受け入れられるのだろうか。排他的経済的水域に偽装した漁船で侵入を繰り返す中国、核兵器やミサイル開発を進める北朝鮮、ロシアはウクライナを侵略する一方で、北海道周辺の海域で戦艦の示威活動を活発化させている。ど素人目にも国際情勢は緊迫の度を強めている。自衛のための戦争を余儀なくされているウクライナ、テレビを通して流れてくる悲惨な映像は日本人に防衛戦争の覚悟を突きつけているような気がする。
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