[ロンドン 30日 ロイター] – ミハイル・ゴルバチョフ氏は、西側諸国から大きな称賛を浴びる一方で、自国のために構想した歴史的使命を果たせなかった悲劇の人物だった。

1990年のノーベル平和賞受賞は当時、旧ソ連大統領だったゴルバチョフ氏が冷戦を無血で終わらせる上で果たした役割に対する、世界の評価の頂点を示すものだった。

しかし、翌年に旧ソ連が崩壊して15の国家に分裂すると、存在しない国の指導者に成り下がり、辞任を余儀なくされた。同氏は国内的には疲れ果てた敗北者となった。

30日に死去したゴルバチョフ氏は、衰弱した共産主義体制を再生させ、15の共和国の間で、より対等なパートナーシップに基づく新しい連邦を形成しようとした。そのうちの2大国がロシアとウクライナだ。だが、6年の間に共産主義も旧ソ連邦も崩壊してしまった。

今にして思えば、同氏の失敗の幾つかは明白だった。

政治改革と経済改革を同時に、しかも野心的な規模で行ったため、制御不能な力を解き放ってしまったのだ。

この点で中国の指導者らはぬかりがなかった。中国は市場経済を受け入れる一方で、1989年の天安門事件においては、共産党の権力支配を守るために冷酷な行動を取ることを知らしめた。

ゴルバチョフ氏は、選挙に立候補して民意を得ようとはしなかった。対照的に偉大なライバルであるボリス・エリツィン氏は、選挙に勝ってロシア大統領となり、旧ソ連の崩壊とゴルバチョフ氏の追放において大きな役割を果たした。

しかも、ゴルバチョフ氏は民族主義的な感情の強さを予想できなかった。バルト三国のラトビア、リトアニア、エストニアに端を発し、ジョージア(グルジア)やウクライナなどにも広がったこの感情は、ロシアの支配から逃れようとする阻止不能な流れを生み出すことになる。

ロンドンのシンクタンク、英国王立防衛安全保障研究所のジョナサン・アイアル氏は「実は旧ソ連自体、束縛を望まない国々の帝国そのものであるとは、彼は思っていなかった」と言う。

「あらゆる旧ソ連の指導者と同様、そしてあえて言うが、今日のロシアの指導者らと同様に、彼はソ連をロシアと同義とみなし、なぜ各国が独立を望むのか単純に理解できなかったのだ」と指摘した。

<自らまいた種>

ゴルバチョフ氏が当初から、自分が受け継いだ体制は凋落して西側諸国に遅れをとる一方だと看破し、大胆な改革以外に救う手段はないと結論付けたことは、正しかったと考える歴史家もいる。

その一方で、批判的な見方もある。

クイーンズ大学ベルファストの歴史学講師、アレクサンダー・ティトフ氏は「ゴルバチョフ氏の失脚の種は本質的に、旧ソ連、旧ソ連社会、そしてその仕組みを真に理解していなかったことにあると考える」と言う。

「彼は旧ソ連を改革できると考え、恐怖、抑圧、統制経済など、体制の本質的要素を幾つか取り除けば体制をまだ維持できると考えた。しかし、それらは実際に旧ソ連体制の本質的な要素そのものだった。それらを取り除いたことで、体制も崩壊したのだ」と述べた。

ゴルバチョフ氏が政権から転落してからの30年間、ロシアは同氏を厳しく評価してきた。1996年の大統領選に出馬してエリツィン氏と対決した際には、得票率0.5%で7位と屈辱的な結果に終わった。

ロシア人は長い間、ゴルバチョフ氏を西側諸国にだまされた「弱い指導者」と見なすことに慣れきっている。

プーチン大統領が20世紀最大の地政学的大惨事と呼んだ旧ソ連の崩壊と、それに続くコーカサス、チェチェン、中央アジアでの戦争など経済的、政治的混乱の数年間を、多くの人々は今もゴルバチョフ氏のせいにしている。

プーチン氏が西側と対立し、ウクライナに侵攻したことで、ゴルバチョフ氏の遺産である西側とのデタント(緊張緩和)と、米国との核軍縮条約は破壊された。プーチン氏はロシアの核兵器の規模と破壊力を誇示しており、米ロ両国の政治家はともに第3次世界大戦のリスクを警告している。

ゴルバチョフ氏が身をもって示そうとした「ロシアは帝国から退却しても大国であり続けられる」という概念もプーチン氏は打ち砕いたと、英国王立防衛安全保障研究所のアイアル氏は言う。

「帝国主義的な野心がロシア政府の公式な政策として再び主張されるようになり、危機に直面した時に必要なのは戦車でそれを粉砕することだ、という基本姿勢が今また流行している」とアイアル氏は指摘。「自身が最終的に受け入れ、信奉するようになった事柄が、今日のロシアの指導者らによって何ひとつ守られていないことが(ゴルバチョフ氏の)究極の悲劇の1つだ」と語った。

(Mark Trevelyan記者)