簗発言をめぐる連日の国会報道を見ながら、与野党議員の質問のレベルの低さと、問題の本質から目をそらした上滑りな議論に嫌気がさしてくる。簗大臣の辞任は当然としても、問題はそれで終わるわけではない。

仮に簗氏が那須烏山市と那珂川町の道路関係予算の減額に関与していなかったとしても、予算の箇所付けを行う国土交通省は、なぜ両市町の道路予算を減額したのか。その理由について説明責任をまったく果たしていない。それどころか、国会でもこの問題を正面から追及する議員が見当たらない。

今回の問題は、戦前の軍国主義から敗戦を経て民主国家への転換を目指した日本で、民主主義の理念が財政運営の実態に十分反映されていないことを浮き彫りにしているように見える。もう一つの大問題は、高市政権が進める「日本版DOGE(政府支出の無駄の削減)」との関係だ。

予算の削減や見直しに国会議員は関わらなくていいのか。一連の国会論議を通じて浮かび上がってきたのは、民主的な財政運営における国会議員の役割という問題だ。与野党議員は簗氏の発言の不当性を鋭く追及する。だがその一方で、時代の変化に応じた予算の削減や組み替えという問題には、そっぽを向いている。

例えば、自民党のベテラン議員である田村憲久氏は13日、衆議院予算委員会で簗氏を追及した。

田村氏は、国会議員は通常、地元を視察したり、さまざまな会合で要望を受けたりして、必要な予算を確保するために関係省庁に陳情すると説明。そのうえで、今回のケースでは選挙に負けたから、あるいは選挙で支持しなかったからという理由で両市町の予算を減額したと報道されているとして、「信じられない」という趣旨の追及を行った。

今回のケースでは、通常の予算獲得活動とは逆の「減額」が問題になっている。事実関係はさておき、ここに簗発言が浮き彫りにした問題を考える一つの糸口がある。それは日本版DOGEとの関係だ。

高市首相は8日の衆院本会議で、日本版DOGEについて、補助金や基金、租税特別措置の見直しを徹底し、政策の優先順位を洗い直す考えを示した。

要するに、これは予算の減額や組み替えにつながる話である。補助金も基金も租税特別措置も、その恩恵を受ける国民や企業、地方自治体が存在する。国会議員はこれに無関係でいられるのか。

もう一つの問題は、道路関係予算が減額された両市町について、国交省が減額の理由を説明していないことだ。これまでの説明で同省は、簗氏から問い合わせがあったことは認めている。だが、簗氏が予算の減額に関与した事実はないと説明している。

それならば、なぜ両市町の道路予算が減額されたのか。肝心の理由については説明がない。ここが財政民主主義の観点から見過ごせないポイントだ。

予算編成の過程で金額を査定したり、予算を配分したりする権限は、財務省や予算を要求する各省庁に与えられている。だが、その権限には説明責任が伴う。予算編成の民主化とは、編成に当たって民意を尊重し、その判断の根拠を明らかにすることでもある。

なぜ国会では、国交省に減額の理由をたださないのだろうか。財務省や関係省庁に委ねられた査定や配分の権限は、何を基準に行使されているのか。誰が、いつ、どこで予算の減額や配分を決めるのか。それは役所の自由裁量に任されているのだろうか。

予算編成につきまとう不透明感を、なぜ国会はただそうとしないのか。