2日、新閣僚会見に臨む柴山昌彦文科相=首相官邸(佐藤徳昭撮影)

 『新潮45』の休刊騒動に続いて、柴山昌彦文部科学相の「教育勅語」発言報道が起こったとき、「ああ、またやっている」と、ため息を吐(つ)いた向きは少なくあるまい。「一体、いつまでこんなレベルの低い論法を続けるのか」と。

大臣の就任会見は、スクープとは無縁の記者たちにとって、質問で失言を引き出し、「名」を上げる絶好の機会である。柴山文科相はNHKの記者からこんな質問を受けた。

「教育勅語について、過去の文科大臣は、中身は至極まっとうなことが書かれているといった発言をされているわけですけれども、大臣も同様のお考えなのでしょうか」

 どのあたりが今も使えるとお考えかと記者がさらに問うと、「やはり同胞を大切にする、ですとか、あるいは国際的な協調を重んじる、ですとか、そういった基本的な記載内容について、これを現代的にアレンジして教えていこうということも検討する動きがあるようにも聞いております。そういったことは検討に値するかな、というように考えております」。

極めて常識的な発言である。教育勅語にあった「徳目」の中には、今も使えるものもあるということであり、明治憲法下の教育勅語を復活させるなどというような発言ではない。だが、新聞はこれをどう報じたか。

〈教育勅語発言 柴山文科相の見識疑う〉(5日付朝日社説)〈柴山氏の教育勅語発言 早くも時代錯誤の登場だ〉(同毎日社説)と全面攻撃に入ったのだ。これを読めば、教育勅語復活を策す「トンでもない大臣が現れた」と思うかもしれない。だが、当欄でも指摘してきたように、これは相手の発言意図を捻(ね)じ曲げたり、一部を切り取ったりする「ストローマン手法」と呼ばれる、いつもの新聞のやり方だ。

実は、岩屋毅防衛相に対しても、先の戦争について「侵略戦争と考えますか、考えませんか。大臣の言葉で聞かせてください」と執拗(しつよう)な質問が就任会見でなされている。しかし、同氏は安倍晋三首相の戦後70年談話と同じである、と繰り返し、挑発に乗らなかった。仮に何らかの発言があれば、中国・韓国に打ち返して大騒動に持っていくお得意の「ご注進ジャーナリズム」も見られたに違いない。

彼らは、なぜそれほど大臣の首を取りたいのだろうか。どうして日本をそれほど貶(おとし)めたいのだろうか。私は、浅薄な正義感のもとに、すっかり“倒閣運動家”と化している新聞記者たちに教えてあげたい。「もう、とっくに、その論法が通用する時代は終わっていますよ」と。

【プロフィル】門田隆将(かどた・りゅうしょう) 昭和33年高知県出身。中央大法卒。作家・ジャーナリスト。最新刊は、『敗れても敗れても 東大野球部「百年」の奮戦』。