シリアの反体制武装勢力に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが解放されたが、彼の行動に対する責任論がネット上で物議を醸している。政府が渡航自粛を求めている危険地帯に勝手に入って、身柄を拘束されたのだからそれは「自己責任」であり「自業自得」。安田さんは迷惑をかけた国民ならびに政府に謝罪すべきだという論旨である。要は危険地帯で取材を試みるフリージャーナリストに対するバッシングである。同じような趣旨の主張に金稼ぎ論とか売名論といった批判もある。いずれにしてもフリージャーナリストが危険をかえりみず勝手に行動し、人質として拘束され政府に迷惑をかけた。安田バッシングの裏には、身代金を要求される可能性がある活動に対する感情的な反発があることは確かだ。

個人的にはフリージャーナリストが、危険地帯に潜入して取材したいと思う気持ちは多少わかる気がする。昔からそういうジャーナリストやカメラマンは一杯いた。命がけの取材を通して現地の様々な情報が伝えられたし、そうしたジャーナリストの行動で世論が動くことも度々あった。昨今の大手メディアは危険地帯で命を張るような取材はほとんどしなくなっている。朝日新聞は27日の社会面で「危険を伴う現場取材に臨むには、周到な準備と細心の注意が不可欠だ」と指摘、「地元の治安当局や現地の事情に詳しい協力者の最新情報、メディア報道などをできる限り集め、現場に入るかどうかを総合的に判断している」と自社の取り組みを紹介している。記者の身の安全を考慮すれば、危険地帯や紛争地帯で取材はよほどのことがない限り難しいという結論になる。それだけに安田さんの存在価値は大きくなる。

その安田さんの行動を「自己責任論」で片付けてしまうのもどうかと思う。自己責任だから自業自得だというのも論理の飛躍だ。多かれ少なかれ人は皆自己責任を負って生きている。フリージャーナリストだけに自己責任を押し付けるのは如何なものか。厳寒の冬山に自己責任で登頂する登山家が遭難すれば、どの国でも山岳救助隊が命がけで遭難者の救出に向かう。自己責任だから放っておけというのは筋違いも甚だしい。売名論も単純すぎる。人の活動は大なり小なり売名に近い要素を帯びている。複雑化し多様化する現代社会を理解する上で安田さんの体験には真摯に耳を傾けるべきではないか。こういうケースが起こるたびに日本では自己責任論が喧しくなる。それ自体、日本が安全な国であるという証拠でもある。安田さんの経験を紐解いて世界を理解する努力も必要だ。