やっぱりというべきか、想定通りというべきか。日本学術会議が推薦した会員候補者105名のうち菅政権が6人の任命を拒否したことに対する批判が新聞やテレビなどメディアを賑わしている。批判の論拠を集約すれば「学問の自由」を侵害したということ。これはやや大袈裟ではないかと前日この欄で書いたが、今回の問題の裏側に存在している深刻な問題を指摘した記事がDAIAMOND ONLINEに掲載されていた。タイトルは「菅政権ばかりか、日本学術会議も『学問の自由』を守れていない現実」。上久保誠人・立命館大学政策科学部教授が書いたものだ。同氏は次のように指摘する。「『学問の自由』『言論の自由』『思想信条の自由』を守る府であるはず大学に次第に広がる、自由な言論がやりづらい『空気』の存在」を指摘する。「日本の学界の体質が、『権力』による『学問の自由の侵害』を容易なものにしてしまっている」というのだ。

どういうことか。上久保氏は一例として安保法制問題を取り上げる。「『国際貢献』の観点から肯定的な考えを国会に呼ばれて表明した同志社大学の村田晃嗣学長(当時)に対して、同じ大学の学者たちが集団で『大学の名誉を傷つけた』と批判した」ことを取り上げる。学者が集団で学長批判に名を連ねれば、これをみた学生は萎縮する。仮に安保法制に賛成の学生がいても指導教授である学者の意向を忖度し、自由に発想することを控えるようになる。これが結果的に学問の自由を阻害することになるというのだ。蛇足ながら上久保氏は同法に反対の立場。日本の学者は研究者であると同時に、教える立場の教育者でもある。学者と学生の間には「師匠・弟子の上下関係が存在する」。菅政権が「学問の自由」を侵害していると主張している裏で、「学問領域で先端を走るべき若手の学者たちが、萎縮して自由に意見を言えなくなってしまう」。これが事実だとすれば、学術会議の側にも問題がある。

菅首相は昨日、内閣記者会のインタビューに応じてこの問題に関する見解を表明している。毎日新聞によるとその要旨は①政府提出法案に対する立場と6人の任命拒否は無関係②「学問の自由」とは無関係③内閣法制局に確認の上で法に基づき任命④(学術会議は)年間約10億円の予算を使っており会員の身分は公務員④(会員の)総合的、俯瞰的活動の確保のため判断⑤過去の国会答弁時とは推薦方式が異なるとの見解を表明している。簡潔だが素っ気ない。「任命する責任は首相にあり、推薦された方をそのまま任命する前例を踏襲して良いのか考えてきた」ともいう。思いつきではなく時間をかけて慎重に検討してきた結論だということだろう。「任命拒否の理由」については、「個別の人事に関することはコメントを控える」と相変わらず冷淡。これでは国民のモヤモヤ感が払拭しない。前例に固執する学者側を覚醒させるためにも、拒否の理由を明らかにすべきだろう。