連日メディアで報道されている菅首相の長男による総務省幹部の接待疑惑、いわゆる“BS疑惑”を眺めながら、いつものように斜に構えながら一連の疑惑を“嗤う”ことにした。要はことの本質を回避しながら、細かいことを仰々しく取り上げている国会、メディア、評論家の指摘が馬鹿馬鹿しく思えて仕方ないのだ。菅首相並びに長男、接待を受けた総務省、疑惑追及にまなじりを決する野党。この問題に関係している特定のプレイヤーを擁護するつもりも、非難するつもりもない。BSの置かれた全体状況、もっと言えば総務省が絶対的な権限を握っている「電波行政」全体を視野に入れた議論が必要ではないかと言いたいのだ。BSに限らずCS、ネットなど主要なメディアにはすべからく電波が介在している。民間企業にとっては喉から手が出るほど欲しいのが電波だ。その電波はいまどうやって割り当てられているか。有り体に言えば総務省が“密室”で割当先を決めているのだ。

首相長男はオヤジが総務大臣の時に大臣秘書官を務めている。親の七光もあるだろうが、独立した人格として総務省のエリートとは元々親密な関係にある。その人物が東北新社に入社するにあたって会社側から期待されるのは何か。言わずもがなだ。人脈を利用して割り当てられた電波の維持、新規獲得に貢献することだ。東北新社に限らないだろう。個人的な見解だが、電波に関心のある会社はどこでも、公務員倫理規定違反スレスレの接待攻勢を日常的に行なっている。それが異常であることは間違いない。だが、異常を異常と感じさせないそもそも原因は何か。それは密室で割り当てるという制度そのものではないか。欧米では一般的に競争入札で割り当て先が決まる。競り勝ったものが勝つ。だから電波の利用料は常に割高になる。そのコストを回収するためには必要なものは何か、それは競合他社を凌駕するコンテンツだ。入札がコンテンツ競争を刺激するのだ。

日本はどうか。テレビの主流はCSだ。この電波の割り当てはBSより遥かに密室的だ。テレビ局が支払っている電波の利用料金は欧米に比べて遥かに低い。各局の情報番組はどこもかしこも似たり寄ったり。コンテンツ競争がないだけではない。同調圧力に便乗して番組を編成する視点がほとんど同じ。まだある。キー局をはじめ地方のテレビ局はほぼ全て新聞社の傘下に入っている。その新聞社は「日刊新聞紙法」という古い法律によって保護されている。そのうえ再版制度によって契約料金も守られている。問題となっている首相長男による疑惑の裏には壮大なる闇が存在する。そこに目を瞑ってみんなが小さな疑惑を追求している。闇は既得権益そのものだ。日本の新たな成長を阻害している。文春がそんな闇を知らないはずがない。全てを承知の上で菅首相の退陣に至らない小さな疑惑をタイミングよくぶつけてくる。個人的にはこちらにも小さな猜疑を感じている。