元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフが亡くなった。米ソ冷戦を非暴力で終結させた歴史上の人物だ。「ペレストロイカ(改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」、個人的にはいまでも正しかったと信じている。だがゴルバチョフはこれによって悲運の政治家となる。社会主義国家・ソ連邦の改革は、後継のエリツィンとプーチンによって反革命へと逆流する。プーチンがはじめたウクライナ戦争はその証明でもある。ゴルバチョフ全盛時代の日本は昭和天皇が崩御し、平成時代が幕を開ける。1つの時代が終焉し、新しい時代が幕開け。それは戦争の終焉と希望の未来につながるはずだった。だが現実はあにはからんや。バブルが崩壊、それは「失われた30年」の入口だった。そんな中でゴルバチョフは米ソ冷戦を集結させ、強権国家に別れを告げようとしていたのである。

結果は言うまでもない。ゴルバチョフのペレストロイカは、強権国家の下で胡坐をかいてきた政治家や官僚、軍人たちの逆鱗に触れる。避暑地のソチで静養中だったゴルバチョフは、一瞬のスキをつかれ軍隊に身柄を拘束される。この少し前、一連の流れを苦々しく見守っていたのが当時KGB高官として東ドイツに駐在していたプーチンだ。1989年11月、ベルリンの壁が崩壊し、1991年には15の共和国が独立しソ連邦は崩壊する。弱体化したソ連を強権国家として再建する。おそらくプーチンはこの時、ひとり静かに決意したのだろう。きょうロイターはゴルバチョフを取材した記者による長文の追悼文を掲載している。執筆したのはAnatoly Verbin記者。書き出しはこうだ。「幸福感。ミハイル・ゴルバチョフ氏が政権に就き、『ペレストロイカ(改革)』や『グラスノスチ(情報公開)』という名前で世界に知られる改革を始めたときの筆者や多くのソビエト知識人の感情を言い表すのに、これ以上ふさわしい言葉はなかった。それは、解放と自由、そして希望に満ちた多幸感だった」。

幸福感とか多幸感とはちょっと違うが、個人的にはバブル崩壊という重苦しい雰囲気の中で、遠い異国の地で強い期待感を抱きながら、ゴルバチョフ改革を眺めていたことは間違いない。私流に言えばそれは、「解放と自由、そして希望に満ちた未来」への期待感だった。Anatoly氏はいう。「(ゴルバチョフは)私に、共産主義国家ソ連に生まれて定められた人生ではなく、私が進みたい道を選ぶことを可能にしてくれたのだ」と。記事の最後に1991年12月25日に行った退任演説が引用されている。「我々は世界に対して国を開き、他国の問題に介入することや、自国外での軍事力行使を放棄した。そして、その代わりに信頼や結束、尊敬を得ることができた。我が国は、平和的で民主主義に基づいた、現代文明の変革を担う礎に加わったのだ」。ゴルバチョフよ永遠なれ!!!