そもそも犯罪が成立しない事案について、会社の代表者らが逮捕・勾留され、検察官による公訴提起が行われ、約11か月もの間身体拘束された後、公訴提起から約1年4か月経過し第1回公判の直前であった2021年7月30日に検察官が公訴取消しをしたえん罪事件。

噴霧乾燥器と貨物等省令の改正

2013年10月、貨物等省令が改正され、一定の要件を満たす噴霧乾燥器は兵器転用が可能になるため、これらを輸出する際に、経産省の許可を要することとなった。なお、大川原化工機株式会社(以下「大川原社」という。)は噴霧乾燥器メーカーのリーディングカンパニーとして、法改正にあたって経産省や安全保障貿易情報センター(CISTEC)に協力してきた。

※噴霧乾燥器(スプレードライヤー)
液体を乾燥し粉体にする装置。液体を細かい霧状に噴霧し、熱風と効率よく接触させることで水分を蒸発させ、乾燥製品にするもの。
牛乳を噴霧すれば粉ミルク、コーヒーを噴霧すればインスタントコーヒーなどさまざまな液体を粉にすることができる。食品、医薬品、セラミックス、化成品などさまざまな用途に応用されている。

警視庁公安部による捜査の開始

2016年6月2日  大川原社は汎用機である噴霧乾燥器(RL-5)を輸出した。

2017年5月ころ  警視庁公安部は大川原社について経産省の許可を得ずに噴霧乾燥器を輸出した被疑事実(外国為替及び外国貿易法違反)で捜査を開始した。

2018年2月21日 大川原社は汎用機である噴霧乾燥器(L-8i)を輸出した。

2018年10月3日 警視庁公安部はRL-5の輸出に関し、大川原社および代表取締役の自宅らに対して捜索・差押えを実施。

2019年8月8日  警視庁公安部はL-8iの輸出に関し、再度捜索差押を実施。

この間、代表取締役O氏を含め社員に対して任意の取調べが継続的に行われ、代表取締役O氏は39回、常務取締役S氏は35回、相談役A氏は18回もの取調べに応じ、捜査へ協力した。その他、会社関係者47名が任意の取調べに協力し、その回数は述べ291回に及んだ。

逮捕・勾留

2020年3月11日、警視庁公安部は外国為替及び外国貿易法違反(RL-5の輸出)の事実で代表取締役のO氏、常務取締役のS氏、相談役のA氏の3名を逮捕した。その後、13日に東京地方裁判所刑事第11部の裁判官は3名について勾留決定および接見等禁止決定をした。17日には勾留決定に対する準抗告も棄却された。なお、東京地方検察庁検察官は接見等禁止決定のうち、家族との面会だけを認めるよう求める弁護人の申立てに対して、弁護人が黙秘を指示していること、会社がウェブサイトでコメントを掲載したことについて「会社ぐるみで口裏合わせを行っている可能性が極めて高い」などの理由から反対意見を提出している。

2020年3月27日、勾留理由開示公判において代表取締役O氏は「私も会社の人間も、これまで何度も警察の出頭要請に応じて捜査に協力してきました。今さら逃亡したり関係者に対して不当な働きかけを行ったりするはずがありません」「(取調べで黙秘権を行使することにについて捜査機関から「なぜ黙秘するのか?弁護士に言われたからか」「弁護士の言うことを聞くと損する」「弁護士は正しいとは限らない」などと不当な働きかけが行われたことについて、)私は憲法上認められている黙秘権を行使したに過ぎない、正当な黙秘権行使に対して非常に不快な思いをした」などと意見を述べた。

起訴、その後も続く身体拘束

2020年3月31日、東京地方検察庁検察官は、O氏、S氏、A氏の3名を外国為替及び外国貿易法違反の事実で起訴した。

4月6日、弁護人は1回目の保釈請求をするが、検察官は「黙秘をしている現状に鑑みると、本件による処罰を免れるため、共犯者や被告会社従業員らの関係者と口裏合わせをするなどの罪証隠滅を図る危険性が高い」「被告会社が組織ぐるみで口裏合わせを行い、個々の従業員の供述をコントロールしている可能性が極めて高い」「弁護人が主張する、保釈を認めるべき事情については、いずれも身柄拘束を受ける刑事被告人であれば該当する一般的な事情に過ぎない」などとして反対意見を述べた。この意見を受けて、東京地方裁判所裁判官は保釈請求を却下した。さらに、準抗告も棄却した(東京地方裁判所刑事第8部)。

再逮捕、追起訴

2020年5月26日、警視庁公安部は外国為替及び外国貿易法違反(L-8iの輸出)の事実で代表取締役のO氏、常務取締役のS氏、相談役のA氏の3名を再逮捕した。

そして、2020年6月15日、東京地検検察官は、L-8iの輸出についても追起訴した。

弁護人は、6月18日に2回目の保釈請求を行い、その中で、正確な法令解釈および本件噴霧乾燥器の性能の理解に基づけば、貨物等省令の定める規制要件に該当せず、そもそも犯罪など存在せず、身体拘束を継続すべきではないことを主張した。しかし東京地方裁判所裁判官はこの主張を認めず、保釈請求を却下した。

争点についてのやりとり

この事件では、大川原社が輸出した噴霧乾燥機(RL-5およびL-8i)が、外為法による輸出規制の対象となる「定置した状態で滅菌又は殺菌することができる」という要件に該当するかが大きな争点となった(これに該当すれば、噴霧乾燥機を生物兵器製造装置に転用することができ、輸出規制の対象になるというのが制度趣旨である。)。

検察官は、噴霧乾燥機を空焚きにして、装置の内部の温度が110度まで上昇すること、さらに大腸菌O157は50度の温度を9時間保てば死滅することから、噴霧乾燥機は「殺菌することができる」に該当するとの主張であった。

これに対し弁護側は、噴霧乾燥機を用いて実験を行ったところ、噴霧乾燥機を空焚きしても90度に満たない箇所があることを報告書にして証拠請求した。また、粉体化した大腸菌は外部温度が50度・9時間の乾熱処理をしても死滅しないという点も主張し、大川原社が輸出した噴霧乾燥機はいずれも「定置した状態で滅菌又は殺菌することができる」には該当しないとの主張であった。

A氏の死去

公判前整理手続の進行中もO氏、S氏、A氏の勾留は続いた。この間も弁護側は保釈請求をするも、検察官は会社ぐるみで口裏合わせをするなどと主張し、裁判所は保釈請求を却下し続けた。

その中で、A氏は東京拘置所の中で体調を崩した。2020年9月15日は東京拘置所の中で輸血処置を受けるなどしたため、同月29日、緊急の治療の必要性を理由に保釈請求をするも、検察官は罪証隠滅のおそれがあると主張して保釈に反対し、裁判所も保釈請求を却下した。さらに、同年10月7日、A氏は、東京拘置所内の医師による診察、検査を受け、胃に悪性腫瘍があると診断された。同月16日、A氏の勾留執行停止が認められ、大学病院を受診し、進行胃がんと診断された。しかし、当大学病院からは勾留執行停止状態での入院、手術を受け入れられなかったことから、弁護側はあらためてA氏の保釈請求をした。これに対し検察官はなおも罪証隠滅のおそれがあると主張し保釈に反対した。そして裁判所も保釈請求を却下した。その後A氏は、勾留執行停止状態でも入院、手術の受け入れ可能な医療機関を探し、2020年11月5日に勾留執行停止され、入院した。しかしA氏は2021年2月7日に胃がんで死去した。

O氏、S氏の保釈許可

O氏、S氏の保釈請求はなおも却下され続けた。上記のとおり公判での争点が整理されてもなお、検察官は弁護人が検察官請求証拠の大部分を不同意にしていることを理由に、口裏合わせによる罪証隠滅のおそれがあるとの意見を述べ、裁判所もこの意見を受け入れ、保釈請求は却下された。

2020年12月25日、弁護側は検察官請求証拠の一部について、不同意意見を同意意見に変更した上で、あらためてO氏とS氏の保釈を請求した(5回目)。検察官はそれでもなお、口裏合わせによる罪証隠滅のおそれを主張したが、東京地方裁判所裁判官は保釈許可決定を出した。これに対し検察官は準抗告を申立て、2020年12月28日、東京地方裁判所刑事第6部は検察官の準抗告を認容し、保釈許可決定を取り消し、保釈却下の決定をした。

これにより、O氏とS氏は東京拘置所の中で年を越すこととなった。

その後、2021年2月1日、弁護側はO氏とS氏について6回目の保釈請求をした。このときもまた検察官は口裏合わせの可能性を理由に保釈に反対する旨の意見書を提出したが、2021年2月4日東京地方裁判所裁判官は保釈許可決定をした。検察官は再び準抗告を申し立てたが、東京地方裁判所刑事第11部は準抗告を棄却し、2021年2月5日、O氏とS氏は約11か月ぶりに釈放された。

そしてその2日後である、2021年2月7日、A氏は死去したが、保釈条件にA氏との接触禁止があったため、O氏もS氏もA氏の最期に立ち会うことはできなかった。

突然の公訴取消申立て

公判前整理手続によって、2021年7月15日に第1回公判期日が開かれることとなった。それに先立ち、弁護側は同年5月下旬、主張関連証拠開示請求として、捜査機関が捜査の初期に経産省等から事情聴取した内容が記載されている捜査メモの開示を求めた。

これに対し検察官は、弁護側からの証拠開示請求への対応を理由に、第1回公判を2か月程度延期するよう求め、さらには本件噴霧乾燥機が輸出規制の要件を満たすかどうか再検討する必要が生じたと述べた。その上、検察官はこのままでは第1回公判において冒頭陳述を行うことができないと公判前整理手続で述べ、第1回公判は8月3日に延期されることとなった。

そして、弁護側からの証拠開示請求に対して、検察官は2021年7月30日までに証拠開示をすることとされた。

そして迎えた2021年7月30日、検察官は証拠開示ではなく、公訴の取消しを申し立てた。検察官から理由の説明はなく、裁判所は公訴棄却の決定を出して、裁判は終結した。