いま読んでいる中野剛志著「日本経済学新論ー渋沢栄一から下村治までー」(ちくま新書)の中に面白い一文があった。備忘録として書き記しておく。278ページ、ちょっと長くなるが引用する。「1935年7月の『朝日新聞』紙上で、(高橋是清は)『常識より考えても、国家その他の公共団体の経済たると個人経済たるとを問わず、借金政策の永続すべからざることは当然である。公債増発に伴って利払費は漸増し、租税その他の収入もその利払費に追はるゝ結果となるであらう」と。この一文を捉えて著者の中野は高橋が「国債の利払の財源を租税その他の歳入によって確保することを想定していた」と見る。ここまではいまの財務省を中心とした主流派の健全財政論と同じである、ところがここから先が高橋の場合ちょっと違ってくる。1933年、膨張する軍事費と時局匡救費の費用や新規公債の利払費を増税によって思弁すべきとの議論が盛んになる。これに対して高橋は以下のように述べている。
「しかしながら現内閣が自局匡救、財界回復のために全力を傾注しつゝあるこの際、増税によって国民の所得を削減し、その購買力を失わしむることは、せっかく伸びんとしつゝある萌芽を剪除する結果に陥るので、相当の期間までこれを避くるを可なりと認めた次第であります。幸ひに景気回復せば、租税その他の収入も必ずや今日以上に増加すべく、また増税も可能なるに至るべく、同時に満州事件費、兵備改善費、自局匡救費は漸次減少すべきを以て、将来歳入の均衡を図ることはさまで困難ならずと信ずるのであります」と。要するに高橋は、公債利払いの財源を急いで増税に頼るのではなく、経済の回復を待って財政の均衡を図るべきだと主張している。中野はこうした点をとらえて「国富が増えれば政府の歳入も増えるので、国債の返済は可能であると高橋は考えていたのであろうと」と推測する。デフレ下で経済の実態を見極めることなく、消費増税を急いだ現財務省の短絡的な発想とはかなり違っているのである。
高橋と同世代のインフルエンサーに井上準之助という人がいる。日銀総裁や大蔵大臣を務めた人だ。金解禁を断行し、日本経済をデフレに導いた張本人でもある。その井上について中野は「エリート中のエリートであった。東大法学部に進み、卒業後は日本銀行に入行して異例の昇進を遂げた。(略)経歴から明らかなように井上は、金融政策に関する豊富な経験を有する超一流の実務家であった」。井上は1929年に民政党に入党する直前まで金解禁は「肺病患者にマラソン競争をさせるようなものだ」と、金解禁の問題点を適切に指摘していた。その井上が民政党に加入して大蔵大臣になると、途端に金解禁論者に豹変。高橋による金本位制再禁止を攻撃し続けたのである。政治家特有のしがらみがあったとはいえ、これはエリートが陥りやすい“病魔”だったのではないか。財務省の高級官僚がデフレ下で増税を繰り返したことに似ている。庶民はエリートの明らかな失政にもかかわらず、元気に生き延びている。これが日本の活力だろう。