司馬遼太郎著『坂の上の雲(四)』(文庫版)に次の記述を見つけた。少し長くなるが引用する。
「ロシア政府は(金を)借りた当座はその迫害の手をゆるめたが、一年も経つともとにもどった。ヤコブ・シフは何度も金を貸したが、ついにかれは帝政ロシアというものの体質に絶望した。
『革命がおこらねばだめだ』
という信念をもつようになった。帝政ロシアが、どの国よりも豊富にもっているものは、反逆者であった。ロシアの帝政をくつがえそうとしている連中は、ロシアに征服されたポーランドやフィンランドの独立党をふくめて、その会派だけで百をこえるであろう。
ヤコブ・シフは、おそらくその連中にも資金援助をしたことがあるにちがいない。そういうなかで、ロシアの内政のどういう革命党や独立党よりも強力な力で立ちあがったのが、日本の陸海軍である。どういう革命党よりも命しらずであり、組織的であり、強力であった。
――日本が、ロシアの帝政をたおすにちがいない。
と、ヤコブ・シフは思った。たとえ日本が負けてもいい。この戦争で帝政ロシアは衰弱する。それが、ヤコブ・シフの日本援助の理由だった」
少し説明が必要だろう。明治維新を経て富国強兵に突き進む日本は、欧州に範をとり、経済力と軍事力の強化に取り組んだ。その過程で日清、日露戦争へとなだれ込んでいく。強化されたとはいえ、当時の日本の軍事力はロシアに比べれば「鯨と雑魚」ほどの差があった。それでも日清戦争の勝利で得た勢いのまま、南下政策を推し進める帝政ロシアという巨大な帝国に戦いを挑んだのである。これが日露戦争だ。
司馬遼太郎は、この戦争を「実質的には日本の敗北であった」という視点も交えつつ描いている。ロシア側があと一日持ちこたえれば勝利目前だったにもかかわらず、なぜか撤退を始めた遼陽会戦を振り返りながら、上記の一文を書き込んでいる。当時の帝政ロシアは、表向きは強大な軍事力を背景に領土を拡大していたが、その実態は為政者の上昇志向だけが空回りする「ハリボテの国家」でもあった。
在野には反政府勢力が蠢き、そこに資金を投じて体制転換(レジーム・チェンジ)を目指していたのが、フランクフルト生まれのドイツ系ユダヤ人、ヤコブ・シフであった。彼は若くしてアメリカに渡り、ロスチャイルド家ともつながりのある金融界で頭角を現した人物だ。日露戦争当時は米国のクーン・ロエブ商会の社主であり、全米ユダヤ人協会の会長も務めていた。
ちなみに、当時、戦費調達のためロンドンで外債(戦時公債)の売り込みに奔走していたのが、日本銀行副総裁の高橋是清である。日露戦争の行方は国際的な注目の的であり、戦況が公債の売れ行きを左右した。しかし、大本営は外国人記者を冷遇したため、憤慨した記者たちが日本に不利な報道を流し、高橋は資金調達に苦戦を強いられていた。
そこに手を差し伸べたのがヤコブ・シフだった。日本側の思惑を超え、遼陽会戦での勝利が報じられると日本の外債は飛ぶように売れ、高橋は窮地を脱したのである。また、日本政府はロシアを内部から崩壊させるべく「大諜報」を画策し、その任務を欧州情勢に精通した明石元二郎大佐に託した。
当時の国家歳入が約2億5000万円だった時代に、明石に与えられた工作資金は「100万円」にものぼる。この巨費を投じ、明石はレーニンをはじめとする後の革命派の面々と接触し、ロシア国内の攪乱に成功した。当時の日本財政に余裕などなかったはずだが、政権転覆という戦略目標に向けてこれほど大胆な資金投下を行ったのである。財政健全化のみを優先しがちな近年の政治とは、覚悟も使い道も「雲泥の差」があると言わざるを得ない。
明治37年当時の日本は、無謀とも言える胆力に満ちていた。司馬遼太郎は本作で当時の日本を手放しで称賛しているわけではない。ギリギリのところで辛勝した日本には、ある種の「運」があった。そしてその裏には、主人公である秋山好古・真之兄弟らの血の滲むような努力があったのも事実だろう。まだ全編を読み終えたわけではないが、混迷する現代の日本もまた、歴史的な転換点に立たされているのではないかと強く感じた。