簗和男農林水産大臣の「予算減額発言」が国会の焦点に浮上してきた。事実関係はまだはっきりしないが、その背景にあるのは日本の予算編成、あるいは財政運営にまつわる不透明さだろう。

野党の政治的、感情的な要求(例えば今後出てくるであろう辞任要求など)も理解できないわけではない。だが、この問題にはもっと大きな背景がある。一言でいえば、日本の財政運営は民主的とは言い難いということだ。

財政運営の基本となるのは憲法と財政法である。いずれも財政民主主義の原則に立っており、軍国主義が暴走した戦前の痛ましい歴史への反省が背景にある。こうした原則に照らせば、現在の予算編成の民主性には疑問が残る。

憲法上、予算の編成権は内閣にある。実務上は、財務省と予算を要求する関係省庁が中心的な役割を担う。大ざっぱにいえば、財務省が査定を通じて予算案の大枠を固め、予算成立後、関係省庁が事業別、地域別などに予算を配分する。いわゆる「箇所付け」だ。簗発言は、この箇所付けの段階で予算が減額されたのではないかという疑惑に関係している。本人も国土交通省も関与を否定しているが、疑問は残る。

各省庁が要求した予算を査定するのは財務省である。一方、予算成立後、事業ごと、地域ごとに予算を配分する箇所付けは、原則として各事業を所管する省庁が担う。市町村長や事業担当者が最も気にするのが、この箇所付けだ。配分額によって自治体や事業の明暗が分かれるからである。

査定も箇所付けも、関係法令に基づく行政上の手続きであり、その権限自体に疑念を挟む余地はない。政府答弁書も「公共事業の箇所ごとの予算配分額は、予算成立後、各事業の所管省庁が、事業主体の要望、必要性、緊急性などを総合的に勘案して決定する」(2009年4月10日、趣旨)としている。

だが、権限には説明責任が伴う。これこそ民主主義の原則である。簗発言をめぐって問題となった栃木県那須烏山市では道路関係の交付金が前年度比約26%、那珂川町では同54%削減されている。

ただし、注意すべき点もある。両市町が実施する事業への配分額は減少しているものの、県の事業を含む地域全体の配分額は、いずれも20~22%増加しているということだ。両市町の首長はテレビで「減額の理由は聞いていない」とコメントしている。この発言についても事実確認が必要だろう。

予算編成に当たっては、政治家や自治体の首長らが猛烈な陳情合戦を繰り広げる。その大半は予算の確保、あるいは増額を求めるものだ。こうした行為自体は民主的な政治活動と考えてよいだろう。

簗発言の特異性は、予算の「増額」ではなく「減額」に言及したことにある。政治家の発言としては異様であり、異例でもある。予算の減額を歓迎する自治体はまずないだろう。だから票にもつながらない。給料を減らされて喜ぶ人がいないのと同じだ。そう考えると、簗発言の狙いは「恫喝」にあったのではないかという疑念が生じる。

もちろん、予算の削減そのものが悪いわけではない。政府が法令に基づき、必要性や政策効果を検証した上で歳出を見直すことは正当な行政行為である。

高市政権はいま「日本版DOGE」を組織し、租税特別措置による税負担の軽減措置などの見直しを進めている。厳密には予算の減額とは異なるが、財政負担を見直し、財源を確保するという点では共通している。飲食料品の消費税減税に伴う財源確保も、その目的の一つだ。少なくとも政策上の理由は示されている。

これに対し、簗発言には政治家個人の利害が絡んでいるのではないかという疑念がある。仮にそれが事実なら、到底許される話ではない。国土交通省の説明責任も十分に果たされているとは言い難い。

国会、すなわち与党も野党も、こうした不透明な実態を解明する責任がある。予算の編成・執行に責任を負うのは内閣だが、予算を議決し、政府を監視する責任は国会にある。

いま国会に求められているのは、単に審議時間を積み重ねることでも、熟議を唱えることでもない。予算配分の実態を明らかにし、権限に見合った説明責任を果たさせることである。