高校生たちが教育環境の改善を求めて始めたフランスのデモは、収束の道筋が見えないまま拡大を続けている。ベルギー、イタリア、スペイン、ポルトガルなどでも抗議活動が広がっている。要求の中身は各国各様だが、生活苦を背景とする政府への不満という点では共通している。

フランスでは以前にも、マクロン大統領が進めた年金改革に対して大規模な抗議デモが起きている。今回のデモが急速に広がった背景にも、国民の生活苦を顧みず、財政健全化を優先してきたマクロン大統領の“失政”があるのではないか。

フランスだけではない。経済統合を進めてきたEU自体が、国民生活よりも財政規律を重視する政策を推進してきた。要するに、各国の抗議活動に共通するのは、国民が求める生活水準や公共サービスを政府が十分に保障できなくなっていることへの鬱積した不満だ。事態は深刻である。

デモが沈静化する見通しが立たない中、一部では暴徒化も起きている。ロイターによると、フランスでは数十都市で数十万人が平和的に街頭行進する一方、一部の過激なグループが公共施設を標的にし、高級ブティックやスーパーマーケットを略奪、警察車両や警察官を襲撃したという。

これに対してルコルニュ仏首相は、政府は暴力に「屈しない」と強調し、騒乱は「極左」と犯罪者によるものだと非難した。

どこの政権も言うことは同じなのか。自らの失政は棚に上げ、デモ全体を極左や犯罪者と結びつけようとしているように見える。一種の印象操作ではないか。少なくとも、こうした発言からは国民の生活苦に対する配慮が伝わってこない。

マクロン大統領の対応も旧態依然としている。「襲撃を実行した者を訴追し、処罰する」と表明。さらに自身のXに「われわれの制度を損ない、平和的に要求を訴える人々を妨害することだけを狙う、混乱を引き起こす者たちに対し、われわれは一致団結して立ち向かう」(ロイター)と投稿した。

発言の一部だけを取り上げたため、印象が偏っている可能性はある。とはいえ、国民の訴えに真摯に向き合うのであれば、生活苦を招いた政策への反省や、その改善に向けた言葉があってもよいのではないか。権力は苦境に陥ると、問題の根本原因が見えなくなるのかもしれない。

財政規律と国民生活。この二つを並べて考えると、必ずしも比例する関係にはなく、むしろ対立する関係にあるように見える。フランスだけではない。日本も同じだ。財政健全化を重視してきた結果として、国民生活は豊かになったのか。「失われた30年」を振り返れば、その疑問は一層強まる。

財政健全化は中途半端なまま、その一方で国民生活は厳しさを増している。所得格差は広がり、国民負担率も高い水準にある。日本では、政治の貧困によって生活困窮者が増えているのではないか。

財政規律を重視してきたEUも、2024年には財政ルールを見直し、債務の持続可能性と成長投資の両立を図る方向へ制度を変更した。とはいえ、欧州経済が順調な成長軌道をたどっているようには見えない。

フランスは来年、大統領選挙を控えている。EUの中核国であるドイツでも、メルツ首相率いる政権は、極右政党と位置づけられる「ドイツのための選択肢」(AfD)の支持拡大に直面し、厳しい政権運営を迫られている。米国でも、収まらないインフレへの不満を背景に、トランプ大統領の支持率は低迷している。

フランスの高校生たちが始めたデモは、教師不足、校舎の老朽化、教室の過密化、大学進学制度への不満などが発端だった。それが労働組合や一般市民を巻き込み、物価高、年金、賃金、公共サービスなどをめぐる抗議運動へと発展した。さらにEU各国でも、それぞれの事情を背景に抗議活動が広がっている。

フランスを中心とする一連の動きは、「国民生活の実態」と「政府の財政運営」が大きく乖離していることを示しているのではないか。

さて、日本の政府と国会はどうするのだろうか……。