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[17日 ロイター] – サウジアラビアを巡る米国の板ばさみ状態を説明した際のトランプ米大統領の表現は、極端に「もうけ最優先」だった。もし米政府がサウジ政府との緊密な関係を手放して武器の売却をやめれば、サウジはロシアや中国に頼るだろう。米大統領は11日、執務室で記者団にこう述べたのだ。

これを前提に、トランプ氏は、サウジへの1100億ドル(約12兆円)規模の武器売却を計画通りに実行すべきとの考えを示唆しているようだ。トランプ氏は、この売却により45万件の雇用が生まれるとしている。

トランプ氏の発言には一理ある。だがこれは同時に、より広い地政学や倫理の問題と絡む難題でもある。

トルコからイラク、アラブ首長国連邦(UAE)、エジプトなどの中東一帯では、米国が意思を押し付けようとすればするほど、独裁色を強めがちな各国政府はそっぽを向いてしまう。

いわゆる「アラブの春」に続く混乱で民衆の抗議活動に直面したこの地域の国は、オバマ米政権に裏切られたと感じ、米国の影響力は急落した。そして、米国が民主化を促したり自制を求めたりすることはもちろん、単発の出来事に影響力を及ぼすことすら困難になっている。

だが本当の問題は、この地域と関わり続ける意欲がどれほど米国にあるか、だろう。

同盟国、敵対国を問わず、この地域の拷問部屋や監獄で恐ろしいことが行われてきたことは疑う余地がない。それでも、イスタンブールのサウジ領事館で今月、サウジ人反政府記者のジャマル・カショギ氏が拷問を受けて殺害され、切断されたとされる事件の目を見張るような残虐さは、ゲームチェンジャーとなるかもしれない。

米国には、まだ影響力がある。サウジのサルマン国王やムハンマド皇太子が、訪問したポンペオ米国務長官と速やかに面会したことを考えれば、少なくともそれは明らかだ。

この産油国と世界の超大国は、まだお互いを必要としていると明らかに考えている。ポンペオ氏が会談後に語ったように、カショギ氏失踪を巡る事実関係については双方とも触れたがらず、サウジ政府の独自調査の結果を待つ構えだ。

トランプ政権とサウジ王室はこの2年、緊密な相互関係の構築に力を注いできた。だがカショギ事件により、このような関係の価値や将来についてのあらゆる懸念が一気に噴出したかに見える。

以前から、すでに米議員の間では武器売却の凍結を求める声が高まっており、対サウジ制裁も公に議論されていた。米国の有力ロビー企業2社も今や、サウジ政府との関係を解消している。

一部では、カショギ氏が尋問の過程で誤って死亡したとサウジが認める方針だとの報道もあるが、同国政府関係者は、現段階では殺害行為への関与を全面的に否定している。

だがもし、指摘されているように権力の座にある人間が関与していたとすれば、彼らが米国や西側の懸念を気にも留めていない証しといえるだろう。

とはいえ、西側がサウジから支援の手を引けば、少なくともある側面では事態が悪化する。例えばイエメンでは、イラン勢力下の武装勢力に対してサウジ主導の攻撃が行われているが、もしサウジがロシア式の無差別兵器や戦術を使ってシリアで行われているような空爆を実施すれば、現在1万人程度とされる民間人の死者はさらに増える結果となるだろう。

かつては比較的穏健な西側同盟国と見られていた中東の国ですら、次第に独自のルールで行動するようになっている。

ニュースサイトのバズフィードは16日、UAEが、イエメンで失敗に終わった暗殺計画のために米国の傭兵を雇っていたと報じた。UAEは同日、研究旅行中の博士課程の英国人学生を拘束し、スパイ容疑で起訴したと発表した。このような行動は英米で波紋を広げているが、地域の指導者が気にする様子はない。

中東政治は今や、ほぼすべての面でこうした傾向が見られる。

2011年にシリアで抗議活動が活発化したとき、オバマ政権はどうすれば米国の力を最善の方法で発揮できるかに苦しんだ。そして、恐らく最悪の選択肢を選んだ。結果を出すために十分な支援を提供することなく、反政府勢力を応援したのだ。現在では、戦場でほぼ勝利を収めたロシアとアサド政権が明らかに主導権を握っている。米国は、傍観者的な立場でしかない。

最近では、トルコが拘束していた米国人牧師を釈放した件が大きく報じられたが、エルドアン政権下のトルコは入念に米国と距離を取り始めており、ロシアから対空防衛システムまで購入している。

ペルシャ湾岸地域で、オバマ、トランプ両政権はともに、同盟国であるカタールとUAE、サウジの関係を改善させようと努力してきたが、イエメン内戦と同じくらい効果は出ていない。米国の軍事支援にいまだ依存した状態のイラクですら、ロシアやイランの影響を以前より受け入れるようになっている。

今後何年か、こうした傾向は加速する一方だろう。

この先誕生するかもしれない米国の民主党政権は、誰が大統領であっても、歴代政権と比べて軍事行動や地域の強権的指導者に歩み寄ることに関心を示さなくなるだろう。

欧州諸国の政府は、さらに慎重だ。イラク戦争やリビアでの軍事行動の経験が、イラクやシリアで行われた過激派組織「イスラム国(IS)」掃討作戦のようなものを超えた深入りを戒める、強力な警告となっている。

倫理的な境界線、さらには実際上の境界線ですら、どこに位置するかは不明瞭だ。

筆者はよく、2006年にスリランカで再発した内戦を取材したときのことを思い返す。われわれが政府側の蛮行を報じ、西側による軍事支援の縮小につながった。だがその穴を中国などがより無差別的な兵器を供給することで埋め、結果として死傷者数が爆発的に増えた。

多くの面で、中東、中でもイエメンは、こうした根本的なジレンマの実験場となっている。西側は一切関与すべきでないと断言したい誘惑にかられるが、関与しなければそのこと自体が代償を生むことになる。

西側のサウジに対する忍耐は限界に近づいていた。イスラム過激派に対する国内からの支援に長年目をつぶり、国外で交戦に及んできたことが大きい。

もしカショギ氏の失踪が決定打とならないのなら、イエメンで進行している人道上の危機がそれになるかもしれない。

状況を説明したトランプ氏の表現はひどかったかもしれない。だが一方で、彼とその後継者にとっていかに選択が困難で、また同時に無意味なものかを、正確に指摘したものともいえる。

*筆者はロイターのコラムニスト。元ロイターの防衛担当記者で、現在はシンクタンク「Project for Study of the 21st Century(PS21)」を立ち上げ、理事を務める