山尾志桜里・立憲民主党衆院議員(酒巻俊介撮影)
山尾志桜里・立憲民主党衆院議員(酒巻俊介撮影)

 立憲民主党は、憲法9条に自衛隊を明記する自民党案について「自衛権の歯止めを外すことになるから危ない」と反対しています。

政治家は国民に伝える「媒介者」に

 とはいえ、人間は比較対照がなければ善悪を判断できません。「エベレストは富士山の2倍高い」と言えば、聞いている人は2つの山を比較できますが、「富士山は世界では低い山なんです。調べたことも、登ったこともないけれど…」と力説されても理解できません。曲がりなりにも自民党の改憲案が提示されている以上、それが良いのか悪いのか、評価軸を示していくことが必要です。

 ゆえに野党は憲法論議から逃げずに、きちんと応じるべきです。安倍晋三政権下で、立憲民主党が主張する「権力を縛る方向での改憲」が発議されることはあり得ません。それでも立憲主義の観点、政府を監視する側からの改憲案を提示すべきです。野党はその役割から逃げてはいけません。

無関心が最大の敵

 この国の立憲主義の最大の敵は、憲法への国民の無関心です。与野党間で憲法論議が全く行われていない現状は、こうした無関心を加速させているような気がしてなりません。

 国会の憲法審査会は多角的な意見を国民に提示する役割を担っていますが、責務を果たし切れていません。その事実を与野党が認めた上で、原点に立ち返る必要があると考えています。憲法審で実質的な議論ができない理由について、与野党が互いに苦言を呈する光景を国民は冷ややかに見ているのではないでしょうか。

 立憲民主党は「憲法の議論は権力を統制する国民の側から盛り上がっていくべきものだ」と主張しています。であれば、国会議員が国会の外へ出て、国民とともに議論を盛り上げていくことも選択肢だと思います。

変化ためらわずに

 憲法は国民のものですが、具体的に議論を深めていくためには法哲学や国際法、判例解釈などプロフェッショナルな見識が必要になります。政治家は絶えず憲法について知見を広くし、それをかみ砕いて国民に伝えていくという「媒介者」の役割を果たすべきではないでしょうか。

 もともと憲法に関しては「党派を超えて議論しましょう」が原点でした。究極を言えば、党議拘束を外して、それぞれの国会議員が国民の代表として議論に臨むべきです。自衛隊明記案とは違う考え方を持つ自民党の石破茂元幹事長や船田元(はじめ)衆院議員から多彩で本質的な意見が出てくることで、議論は深まっていくのではないでしょうか。

 時代の変化によって、従来の考え方が揺らいだならば、国会議員は変わることをためらうべきではありません。政治家が「ぶれた」と指摘されるのを嫌がるのは選挙が怖いからです。しかし、コアな支持者の意見にとらわれたままでは、「全国民の代表」としての豊かな話し合いを実現することはできません。

 憲法は政党や支持者、支援団体のしがらみから意識的に離れて議論すべき課題です。“不毛な議論”はもうやめましょうよ。(千田恒弥)