[東京 7日] – 幕末から昭和まで、歴史を見つめてきた作家の半藤一利氏は、平成の日本は国家に目標がなく、国民も基軸を失いつつあると指摘する。

日本の近現代は40年サイクルで転機が訪れてきたとし、現在の不穏な世界情勢の中、バブル崩壊から次の節目である2032年に向けてどういう国にしたいのか、新しい時代を生きて行く人たちは真剣に考えるべきだと警鐘を鳴らす。

同氏の見解は以下の通り。

日本の近現代は京都の朝廷が開国に方針転換した1865年に始まり、そこから40年周期で節目を迎えている。1905年に日露戦争に勝って列強の仲間入りをし、1945年にそれまで築き上げた大日本帝国を壊滅させた。占領の空白期を経て1952年から新しい国家の建設に乗り出し、40年かけて経済大国への階段を駆け上がった。

そしてバブルが崩壊し、現在の40年間は1992年に始まった。この史観が正しければ、次の転機は2032年に訪れる。果たして滅びの40年になるのか、それとも態勢を立て直し、新しい国造りの40年にできるのか。

近代日本が経験した過去3度の40年は、いずれも国家に目標が、国民に機軸があった。最初は富国強兵と立憲君主制の天皇、戦後は復興と平和憲法。真ん中の40年も、間違ってはいたが、アジアに冠たる帝国を建設するという目標と、「現人神」の天皇という機軸があった。しかし、今の日本は国家に目標がない。憲法改正を叫ぶ声が高まり、国民の機軸も失われつつある。

平成に入ってからおかしくなったように思う。戦後どれほど苦労して日本を再建したか、そのことを知る世代がいなくなり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という栄光だけを背負ったリーダーに代替わりした。開国から苦労して近代国家をつくり上げた世代が引退し、一等国になった栄光だけを知る世代に交代した日露戦争後の40年間のようだ。

<平成は出だしでつまずいた>

そもそも平成は、出だしで少し間違えた。1989年6月に中国で天安門事件が発生し、11月にベルリンの壁が崩壊、12月にルーマニアのチャウシェスク大統領が暗殺されて東欧諸国で民主化革命が起きた。一方、バブル真っ最中だった日本は、当時サラリーマンだった私を含めて左うちわで浮かれ、世界が大きく変化していることに目を配らなかった。

その後も日本はバブルの処理、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件と国内問題に追われ、国際情勢から取り残された。今もそれは続いており、日本は世界の変化についていけていない。国際連盟を脱退して世界と関係を絶った戦前の姿に重なる。

今の世界は不穏だ。第1次世界大戦後の情勢とよく比較されるが、1921年に就任したハーディング米大統領は、国際連盟の創設に尽力したウィルソン大統領の平和主義を転換し、現在のトランプ大統領に似た米国第一主義を掲げた。欧州諸国も自国第一主義に走り、1929年の大恐慌がそれに拍車をかけ、ヒトラーやスターリンなどの指導者が出てきた。

とはいえ、歴史は必ずしも繰り返されるわけではない。日本人も、いつまでも軸がないまま、ふわふわとしていることはないだろう。2032年にこの国がどうなっているのか、私のような年老いた人間が語るべきことではない。平成が終わり、その先の時代を生きていく若い人たちが、日本をどういう国にしたいのかを真剣に考える必要がある。

<次代の天皇のあり方>

今の天皇陛下は11歳で終戦を迎え、象徴天皇とは何か、平和国家とは何かをずっと考えてこられたと思う。それが形として現れたのが、被災地への慰問や戦地への慰霊の旅だったのであろう。

2005年にサイパンを訪れた天皇陛下は、戦時中に多くの人が亡くなったバンザイクリフに立ち、皇后陛下と並んで深々と頭を下げられた。その後ろ姿の写真を見たとき、天皇陛下は本気で平和というものをお考えになっていると感じた。

ご自身が形作った象徴天皇像を次の天皇も受け継ぎ、国民統合のため努力をしてくれるだろうと確信して譲位を決められたのだと思う。

これからの時代、天皇にどういう存在でいてもらいたいのか、国民が考えて見いだしていくべきだ。

*本稿は、ロイター特集「平成を振り返る」に掲載されたものです。半藤一利氏へのインタビューをもとに、同氏の個人的見解に基づいて書かれています。

*半藤一利氏は作家。1930年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文芸春秋社に入社。編集者のかたわら、「日本のいちばん長い日」など第2次世界大戦をテーマにした本を執筆。「週刊文春」、「文芸春秋」の編集長などを歴任後、著作活動に入る。著書に「ノモンハンの夏」、「昭和史1926─1945」、「昭和史 戦後篇 1945─1989」、「語り継ぐこの国のかたち」などがある。

(聞き手:久保信博)