今日は安倍晋三元首相の国葬の日である。国葬という言葉がすでに一般化しているが、正式には「故安倍晋三国葬儀」と「儀」という一文字がついている。日本には現在国葬に関する法律がない。その代わりということで岸田総理が決断したのが内閣府法設置法に基づく「国葬の儀」だ。国葬に準ずるセレモニーとでもいえばいいのか、法制上内閣は閣議決定を行うことによって国葬儀を主催することができる。これに基づいた儀式が本日行われということだ。賛否両論ある。反対派の方が賛成派より多いようだ。これを国葬と呼んでいいのか、個人的には腑に落ちない点があるのだが、それを言い出したら収拾がつかなくなる。それはとりあえず置くとして、国葬儀にちなんで安倍晋三という政治家をひとり静かに忍ぶことにする。アベノミクス、自由で開かれたインド太平洋など国際的に評価される一方で、国内的にはさまざまな暗部がつきまとっていた政治家だ。

この欄で経済政策中心にアベノミクスをあれやこれや批判してきた。デフレ脱却の糸口を作ったという点では評価できるものの、最大の問題点は「三本の矢」という景気刺激策と同時に、消費増税などデフレ政策を同時に進めたことだ。アクセルを踏みながら一緒にブレーキも踏み込んだ。これでは日本経済は動きようがない。結果は長期停滞の常態化だ。財政の健全化を気にしながら、デフレ脱却は日銀の異次元緩和と企業の成長戦略に委ねられた。その弊害はいまだに尾を引いている。世界中がインフレ脱却に向けてギアを切り替えているのに、黒田日銀総裁は異常ともいうべき執着心で金融緩和に固執している。結果として円の暴落が続いている。政府は急激な変動を阻止すると称して先週に24年ぶりに為替市場に介入した。円を買ってドルを売る為替操作に手を染めたのだ。円買いはデフレ要因。日銀の緩和政策と矛盾する。にもかかわらず黒田総裁は「金融緩和と矛盾せず」と白を切る。

日本の需給ギャップは内閣府の発表だと17兆円、民間のシンクタンクは30兆円を超えると試算している。需要と供給の間に20兆円〜30兆円のギャップが存在している。供給能力を需要が大幅に下回っているわけだ。安倍元首相はこの差を日銀の金融政策によって埋めようとした。ここが彼の最大の錯誤だろう。もちろんその裏には財政を預かる財務省の強烈な反対が存在したのだろう。だから「積極財政」をぶち上げながら「財政再建」の二兎を追った。個人的には日銀に需給ギャップを埋める機能はないと思う。それは財政の仕事だ。黒田総裁は「賃金の上昇を伴った物価目標の実現を目指す」と強調する。まるで企業の成長戦略も日銀が請け負っているかのような印象を受ける。司つかさの歯車が噛み合って日本経済の良い循環が生まれる。安倍元首相は全体の調和を無視して一点突破を試みた。そのツケが高橋容疑者を筆頭とするオリンピック汚職や統一教会問題に現われている。国葬ではなく国葬儀が関の山だ。