総務省の「行政文書」を巡る論争が国会で延々と続いている。個人的にはほとほとうんざりしている。これまでのメディアの報道を見る限り、軍配は高市氏に挙がっているように見える。だが朝日新聞をはじめ左派系メディアを中心に、問題提起した立憲民主党の小西洋之参院議員(旧郵政出身)や党執行部を擁護するかのような論調も目につく。この問題に関する個人的評価はすでに10日付の当欄で「『行政文書』で踊る一部の野党とマスメディア」で書いた。この間の報道を見ながらここに書いた認識の正しさに、ますます自信を深めている。論争のポイントは衆議院の予算委員会で高市氏が発言した「捏造」、「いいですよ」(文章が正確なら大臣と国会議員を辞職せよとの小西議員の質問に対する答弁)発言から、「だったら質問しないでください」という参院での答弁に移って来たようだ。どちらにしても、個人的には質問者のレベルの低さに唖然とし、立民に対するマイナスのイメージがどんどん膨らんでいる。

参院の高市氏の答弁は、立民の杉尾議員から「あなたの答弁は全く信用できない」と質問されたことに答えたもの。珍しく感情を露にした高市氏が「だったら質問しないでください」と答弁した。杉尾議員は一瞬戸惑いながらも、同大臣に対する質問を継続。信用できない答弁をする大臣に質問し、信用できない答弁を引き出している。この堂々巡りに内在する矛盾に質問者ならびに立民執行部はまったく気付いていない。かくして信用できない答弁をする大臣への質問がこの国会で延々と続いてきた。論点は民放に対する「政治圧力」。その背景にあるのは旧郵政省と旧自治省による総務省の主導権争い。今回は旧郵政省組が重箱の隅をほじくり返そうとしている。しかも8年も9年も前の文書だ。大半の関係者はその存在すら忘れている。ここで議論された放送法に関する解釈変更は何一つ行われていない。この問題に法制局は一切関与していないのだ。国会議論を聞けば聞くほど、ただただ政治に政党に、国会に愛想を尽かすしかない。

哲学者であり作家でもある東浩紀氏に「一般意志2.0」という著作がある。私の手元にあるのは文庫版(2015年発行)で、その中に次の一節がある。「政治の本質は、『友』と『敵』を分割し、敵を存在論的に殲滅することにある。存在論的に殲滅、というのは、相手をこの世から消し去る、つまりは殺すことだ」。20世紀前半に活躍したドイツの法学者カール・シュミットの著作「政治的なものの概念」の中にある一節だ。小西氏と立民執行部は、まさにこの政治を実行しているのだろう。行政文書の主役は安倍政権で首相補佐官を勤めた礒崎陽輔氏(旧自治省出身、参院で落選中)である。だが小西氏、立民執行部の敵意識は高市氏に向かっている。ウクライナ支援もインフレ対策も国民の生活苦も、春闘や中小企業の窮状、少子化対策、防衛力強化策など目の前にある“大問題”をすべて無視して、高市氏の抹殺だけを目的に邁進しているようにみえる。ちなみにシュミットはナチ政権に協力した危険な思想家。その思想を実践する立民も体質的に危険な政党だ。これに加担する左派マスメディアにも未来はないだろう。