秋篠宮がきのう、53歳の誕生日を迎えたのを機に記者会見を行った。その様子を各メディアは今朝、大きく取り上げている。会見のポイントは2つ。一つは「大嘗祭(だいじょうさい)」に国費を投入するのは如何なものか、と疑問を呈されたこと。もう一つは眞子様のお相手である小室さんとのことについて発言されたこと。後半の小室家問題については、テレビの情報番組に譲るとして、大嘗祭と国費の関係については平成天皇の就任時にも大きな議論になった。その議論が再び取り上げられたことに、天皇家にまつわる今日的な問題が垣間見えるような気がする。象徴天皇を頂点とする皇室と国民の間には依然として大きな溝があるのではないか。

秋篠宮さまは日本が憲法で政教分離を唱っていることを前提に、政治色が極めて強い大嘗祭は国費ではなく天皇家の私費で賄うべきだとの持論を話された。大嘗祭というのが具体的にどんな儀式なのか、個人的には全く知識がないが、物の本によれば神との契りを結ぶための浮世離れした儀式のようである。その中身はともかく、国家神道につながる“神”とまぐわうことにこの儀式の意味があるとすれば、秋篠宮のみならず政教分離との関係で国費の支出が議論を呼ぶのは当然だろう。秋篠宮は至極当然のことを話しているような気がする。その秋篠宮は来年の5月に、皇太子待遇の「皇嗣(こうし)」となる。皇嗣は皇位継承順位第1位で、言ってみれば準天皇でもある。その人が宮内庁に対して「聞く耳を持っていない」と批判したのである。

我々庶民は天皇が普段何を考えているか、本当のところはよく知らない。知ろうとしない庶民もいけないのだが、庶民と皇室の橋渡し役である宮内庁がはっきり皇室の意思を伝えないことにも問題がある。我々の知る平成天皇は被災地を頻繁に巡り、遺族や被災者に親しく声をかけている。東南アジア歴訪の旅では誰もいない海に向かって深々と頭を下げる姿が印象的だった。戦犯が合祀された靖国神社には一度も参拝せず、国民に寄り添う姿勢を貫いてきた。考えてみればこういった姿勢に象徴天皇としての“役割”を体現していたのだろう。こうした振る舞いはある意味では平和を希求する天皇家の“政治的”なメッセーでもあった。秋篠宮は現天皇が行ってきた時間と空間を通して浮かび上がらせようとしたメッセージを、発言という形で直接国民に伝えようとしたのではないか。そうだとすれば「聞く耳」を持たない宮内庁の姿勢が余計に問われる。日本人はもっと皇室の“本音”を知るべきかもしれない。