「七月の、八日でした。 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。 あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。 その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました」。友人代表として弔辞を述べた菅前首相は、まるできのうのことを思い出すかのように、さりげなく語り始めた。仰々しい前置きはない。気負いも衒いもないように見えた。初めはちょっと変わった弔辞だなと感じた。しかし、淡々と語り継ぐ言葉の端々に、故人との壮絶な政治活動の轍が滲み出てくる。耳を傾けながらどんどんと引き込まれていく。時に涙ぐみ込み上げる感情を振り切るように語り継ぐ。胸に迫り来るものがあった。おそらく、自らの心の中にいる故人に語りかけていたのだろう。昭恵夫人の涙が印象的だった。

野暮なことを書いても仕方がない。ネットに弔辞の全文が載っていた。菅氏の思いのいくつかを引用する。「あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。 あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。 やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。 季節は、歩みを進めます。 あなたという人がいないのに、時は過ぎる。 無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます」。「ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。 二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。 明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています」。「あなたは、・・・若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。 そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。 ―これが、あなたの口癖でした」。

一般献花に集まった大勢の人々。若い世代が多かったようだ。一方で武道館周辺や国会議事堂前では、国葬反対デモが行われていた。ここにも若い人たちの姿がちらほらと見えた。これも安倍前首相が自ら蒔いた種に起因しているのかもしれない。菅氏は弔辞の最後を山縣有朋の歌を引用して締めくくった。「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」。師と仰いだ初代首相・伊藤博文の死に託した山縣の心境に自らの思いを重ねたのだろう。弔辞が終わると武道館は時ならぬ拍手の嵐に包まれた。伊藤の遺志を引き継いで第3代首相に就任した山縣。1年余で首相の座を降りた菅氏は7年8カ月仕えた安倍亡きあと、この先の日本をどこへ導こうとしているのか。賛否両論の真只中で挙行された国葬。日本だけではない。世界中が異論、反論、オブジェクションで渦巻いている。弔辞を通して菅氏は自らの決意を故人に伝えたのではないか。「今より後の 世をいかにせむ」。