高市首相は昨日、片山財務大臣や関係閣僚に対して補正予算の編成を指示した。「責任ある積極財政」を掲げる首相は、かねてより予算の複数年度化や、秋口に恒例化している補正予算の廃止を宣言している。にもかかわらず、18日の政府・与党連絡会議では、ホルムズ海峡封鎖の影響長期化を理由に、一転して補正予算の編成を指示したことを明らかにした。

そもそも与野党を問わず国会議員には、事あるごとに補正予算の編成を求める空気が根強い。一部の野党は本予算の審議中から補正予算の編成に言及していたが、これに対して首相は当時、「現時点ではその必要性は感じていない」と否定的なコメントを残していた。その首相が、ここにきて路線修正に踏み込んだ形だ。

ここで気になるのは、補正予算の議論において、財源や国債の増発がほとんど論点にならない現状である。とりわけ、財政健全化をある種の“教義”のように唱える人たちにおいて、なぜかこうした傾向(財源論の軽視)が強いように見受けられる。

では、補正予算とはそもそも何なのか。財務省のホームページにある用語の解説を引くと、「予算作成後の事情の変更によって、その予算に不足を生じた場合、また予算の内容を変える必要が生じた場合に、出来上がった予算を変更する予算」と定義されている。

今年度の予算に組み込まれた予備費は1兆円。さらに昨年度の未執行予備費が8000億円あり、政府はこれまでこの財源を活用して電気・ガス代などのエネルギーインフレ対策を講じてきた。しかし、ホルムズ海峡の封鎖に伴いインフレが高止まりする中、政府はこの状況が長期化すると判断したのだろう。新たな資金を確保するために、補正予算の編成へと舵を切った。

補正予算は本来、地震や河川の氾濫といった自然災害への対応を目的として編成されるケースが多い。今回は、中東情勢の緊迫化に伴うさらなるインフレに備えるための編成と見ていいだろう。その必要性自体を否定するつもりはない。

真の問題は、本予算(当初予算)が緊急事態に対応しきれていない構造にある。近年は地震や豪雨、異常気象に伴う農作物の不作など、自然災害が多発している。毎年同じような事態が起きているにもかかわらず、その都度、秋口に大規模な補正予算を編成することで凌いできた。災害に柔軟に適応できない予算制度そのものの欠陥が議論されることはなく、注目されるのはいつも「予算規模」ばかりだ。

結果として、各省庁は補正予算のドサクサに紛れ、災害とは無関係な予算まで積み上げる。例年、大規模な補正予算が提出されても、衆参両院でわずか1週間もあれば成立してしまうのが常だ。かつて積極財政を封印してきたはずの「失われた30年」において、なぜ赤字国債が激増したのか。その原因の一端は、この安易な補正予算の常態化にあるのではないか。

そうであるならば、いっそのこと来年度予算からは、当初から最低でも10兆円規模の予備費を本予算に組み込んではどうか。その方が、政府の各種対策も切れ目なく推進できるはずだ。もし不適切な予備費の執行があれば、国会で野党が政府を厳しく追及すればいい。その方が予算執行のスピード感にも繋がる。

要するに、現在の予算制度が時代の変化や現状に適応できていないのだ。改革が進まない国会と同様に、予算のあり方自体も時代遅れになりつつある。これこそが、いま直視すべき問題の本質ではないだろうか。