野村 明弘 : 東洋経済 解説部コラムニスト 

――新型コロナウイルスの流行状況を理解するために、現在、多くの国民が報道などを通じて実効再生産数について学んでいますね。

2009年に新型インフルエンザの流行があったとき、初めて日本の全国紙の一面記事に再生産数という言葉が登場した。それから10年ちょっと経って、今回の新型コロナでここまで広く詳しく論じられるようになったのは、画期的なことだと思っている。

重大な責任負う実効再生産数という指標

――改めて話せば、基本再生産数は、すべての人が免疫を持たず感受性を持つときの、1人の感染者が生み出す2次(新規)感染者の平均値。いわば、病原体の素の感染力を示すものです。これに対して実効再生産数は、実際に1人の感染者が生み出している2次感染者の平均値で、さまざまな現実の対策の影響を受けているものと位置づけられます(詳細は4月22日付「科学が示す『コロナ長期化』という確実な将来」を参照)

現在、実効再生産数が重要になっているのは、ウイルスの流行がダイナミックに上下するからだ。行動制限によって新規感染者を減らせることは画期的であるし、今後、行動制限を緩和していくときに新規感染が増えることもあるため、再び対策を引き締めるときにも使われる。非常に重大な責任をこの指標は負っている。

――細かく言えば、実効再生産数の定義や計算の仕方はいろいろありますね。

各国の研究機関や政府が実効再生産数を推計しているが、どれも基本には忠実で、いわゆる「トンデモ」や実践で使えないというものはない。私の属する数理疫学の研究者集団は世界的にもそんなに大きくなく、アクティブに活動しているのは200~300人くらいだ。研究者間で知り合いも多い。

皆が、総本山と言われるような欧米の大学で学んで、その後、各国に散らばって教授になっている。多くは年代も近い。現在は、政府のビルに入り、すぐさま何らかの実践的なアドバイスをしないといけないという同じような状況に多くの研究者が置かれている。

そうした中で、ごく最近、世界の研究者内で共有され始め、早く国民の皆さんとコミュニケーションを取らないといけない問題が出てきた。

――それは何ですか?

基本再生産数に関わるものだ。スウェーデンの新型コロナ対策に大きく関係する「集団免疫」というものがある。集団人口の何%が感染すれば、流行は自然と収まるのかという話だが、その比率は基本再生産数の逆数に対応して上下する。

基本再生産数については、私は海外の例を使って2.5と想定することがよくあり、「根拠は何か」と問われることもあるが、海外では2.5という数値はリーズナブルだと考えられている。

基本再生産数2.5の想定では、人口の60%が感染すると、新規感染者数は自然に減少に転じると、これまでの数理モデルでは計算されてきた。これについて、大阪大学疫学フロンティア研究センターの宮坂昌之先生は60%という数値は大きすぎると批判されているが、そのことが科学的な裏付けをもって説明され始めている。

集団免疫率60%は大きすぎる

集団免疫の効果によって自然に流行が終わった際の最終的な累積感染者数は、理論的に計算できるが、その数値は実際に比べて過大になりがちだという議論は昔からあった。

例えば、今年2月に起きたダイヤモンド・プリンセス号内での感染拡大では、もちろん船内での感染者隔離は行われたが、約3000人の乗船者に対してその約17%が感染した(累積罹患率が約17%)。先ほどの60%には遠く及ばない。

ほかの地域でも同様なことが観察されている。例えば、スウェーデンはロックダウン(都市封鎖)などの全国的な強い行動制限を行わず、自然に集団免疫に達することを受け入れるとしているが、現在、人口の約35%が免疫を持ち、流行は下火になろうとしている。おそらく最終的な累積罹患率は50%にも至らないだろうと言われている。

――なぜ、これまでの計算結果と異なるのでしょうか。

その理由は、異質性というものに関係する。現実の世界では、一人ひとりは同質的に振る舞わない。例えば、接触行動は子ども、大人、高齢者といったグループによって異なる。60%という集団免疫に必要な値は、すべての人が同じように振る舞うという仮定を置いて計算されていた。

これに対して今、それの拡張版として異質性の要素を導入した集団免疫度の計算手法が欧州を中心にやっと本格化してきた。異質性の要素としては、年齢構造に加え、家庭やコミュニティーなどの社会構造の違い、クラスター(感染者集団)のような感染の起きやすい場所とそうでない場所の違いなどが挙げられる。

従来から知られてきたこととしては、それによって得られる累積罹患率の数値は、同質性を仮定した一般的な計算より小さくなる。

新型コロナの集団免疫率は20~40%か

最近わかったのは、累積罹患率だけでなく、集団人口の何%が感染すれば、新規感染が自然に減少に転じるかという比率(集団免疫率)についても、従来の計算結果より小さくなること。ようやく異質性を取り入れた計算手法が真剣に検討され始めている。

――経済学の数理モデルでも、経済主体はみんな一律に自己利益の最大化を目指し、将来の事象も確率的に正確に予測できるという同質性が仮定されており、それの弊害がずっと指摘されています。興味深い一致ですね。数理疫学では、どのように異質性を取り入れるのですか?

1つの研究では、われわれがクラスター対策で注目してきた、1人の感染者が生み出す2次感染者数にばらつきがあるという話に関係する。新型コロナでは、ほとんどの感染者は誰にもうつしていないが、特定の屋内環境で「3密」の条件がそろった場所において1人がたくさんの2次感染者を生み出すということがある

そのことを考慮すると、集団免疫率が一般的な数値より低くなることが最近示された。具体的には従来の式に頼らずに定義を変えて、1回目の流行終了後、2回目の流行を起こさないときの閾値として集団免疫率を計算している。すると、1人当たりが生み出す2次感染者のばらつきが大きい場合は、基本再生産数2.5では、集団免疫率は60%でなく、20~40%くらいで済むことになる。これが4月27日付のイギリスの研究論文の内容だ。

また、年齢別の異質性を考慮した5月6日付の別の研究論文もある。こちらも集団免疫率は40%程度(基本再生産数2.5のとき)で済むという内容だ。こうした研究結果は、従来のように「人口の6割が感染しないと感染拡大は収まらない」と想定しなくてもよいことを意味する。これはかなり重要なことだ。

――ただ、20~40%といっても高い数値ですね。日本では、本当の感染者数は、PCR検査の陽性者数である確定感染者数の10倍以上いると言われますが、それでも20~40%よりは全然少ないでしょう。集団免疫率の推定値が下がったとしても、対策をせずに自然に集団免疫に達することに任せるという方向に転換するのは難しいのではないですか。

そのとおりだ。日本は現在、大規模になりかけた流行をいったん制御しつつある段階だが、抗体検査などの結果を踏まえると、おそらく全人口の1%に至るかそうでない程度のみが感染し免疫を持っている状態だろう。逆に言うと、国民の99%以上はまだ感受性を持ち、感染する可能性があるということだ。

しかし、集団免疫率の推定値が下がったということは、いつかどこかの国が戦略を大きく変えてしまう可能性があることを意味する。例えば、感染拡大の制御がうまくいっておらず、死者が多数出ていて、一方で経済の再開の要望が強い国ではありうる戦略転換だ。

具体的には、欧米で経済再開の動きが進むが、とくにアメリカではどんどんそちらに向かって政策が進んでいる。いずれ集団免疫を自然に獲得する方向に舵を切る可能性がある。

アメリカが感染制御を止めた場合のリスク

――もしそうなると、世界の新型コロナ対策の流れは変わりかねません。

ここからは数理疫学の専門分野を離れてしまうが、仮にアメリカが感染拡大の制御を諦めれば、経済を回すために他国にも「門戸を開けなさい」と迫るのではないだろうか。そうなれば、日本に影響がないはずはない。

もしそうなれば、日本国内でせっかく感染拡大を制御できていても、海外との人や物の移動が再スタートとなり、感染再拡大に火がつきかねない。

感受性人口がまだまだ膨大にいる日本と、感染者をたくさん持つ国が1週間に何便ものフライトでつながってしまうわけだから。実際に6月からこの動きはある程度始まりそうで、アメリカのエアラインがカリフォルニア州と日本を結ぶ週3便を再開するという話が出ている。

集団免疫率が従来の想定の半分強で済むことによって、海外の国の戦略が変わってしまい、日本独自の対策だけでは話が済まなくなる可能性がある。人の移動を遮断できないと、集団人口単位の政策は効果を失うのが、感染症対策の特徴だ。国際協調のあり方を含めて、この問題について多くの人に考えてもらいたいと思っている。

――感染者数の少なさという日本の優位性が逆に不利な点になりかねないですね。万一、日本が門戸を開かなければならないとしたら、空港などでの検疫を強化するくらいしか手はないのでしょうか。

私の関係する厚生労働省にできるのは、検疫法に基づく空港や海港での検疫(水際対策)だけだ。入国者の検査を行ったり、対象者数が少ない場合は検査陽性者の14日間の停留を行ったりすることができる。

それ以外では、入国管理法は法務省の管轄、国際移動そのほかの方針は官邸主導の国家安全保障会議で決められている。新型コロナ対策について科学者のリスク評価が官邸などの意思決定に反映されるべきだと思うが、国際移動に関してはまだそれが達成していない。

これまでは、ロックダウン(都市封鎖)や接触8割削減などの公衆衛生上の対策と経済への打撃という単純な2項対立が続いていたが、今後はそこに国際政治的な力学も入ってきて、新型コロナ再流行の落とし穴になるかもしれない。