国会の論戦にあまり興味がないのだが安倍首相の、「悪夢のような民主党政権」という発言を機に与野党の議論が盛り上がっている。国会に限らずネット上でも賛否両論あり、面白い議論が展開されているようだ。個人的には民主党時代は悪夢だったと思っている。でもそれは民主党だからということではない。自民党政権の時代にも悪夢のような時代はあったし、これから先、政権交代が起こるたびに与党は、悪夢のような前政権の失敗を繰り返し取り上げるだろう。問題は首相に表現の自由はあるかということと、野党の政権戦略だ。憲法21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する」とある。表現の自由は何人にも保証されている。

憲法学者ではないし、取り立てて憲法を勉強しているわけではない。市井の一生活者として考えているに過ぎないが、首相であれ議長であれ、野党であれ与党であれ、表現の自由は保証されている。では、戸籍や住所を持たない天皇に表現の自由はあるのだろうか。多分、ないと思う。天皇は政治に関与してはいけない国民の象徴であり「その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法第1条)。だとすれば、賛否が別れている問題で発言することはできない。それはともかくとして、「あの時代、不況の煽りを受けて職を失った人にとっては悪夢と言うより地獄だったかもしれない」(BLOGOSより転載)。受け止め方は人によって異なる。何かにつけ「反対、反対の野党こそ悪夢」と思っている与党の議員はいっぱいいるはずだ。反対に野党議員は「安倍政権こそ悪夢」と思っているだろう。

頭の中で考える分には問題にならない。それを言葉にした途端に怒涛のような批判が起こる。考えることと口にすることの間にどれほどの違いがあるのだろうか。二重人格とか二枚舌は許されて、本音を正直に言えば問題になるとすれば、それも変だ。首相にも表現の自由はある。だから、これを批判して撤回を求めたところで本質的な議論にならない。「悪夢の安倍政権」を倒すためには、悪夢を裏付ける証拠を突きつけるしかない。統計不正はまさに悪夢だ。にもかかわらず野党の追及には手詰まり感が漂っている。悪夢を終わらせるための政策が必要なのに、野党は依然として言葉遊びの世界で漂流を続けている。このままでは統一地方選挙も参院選も野党は勝てないだろう。「悪夢発言」を追及すればするほど「悪夢の政権」が続く。野党は早くこの矛盾に気づくべきだ。