握手する岸田文雄外相(左)と韓国の尹炳世外相(いずれも当時)=2015年12月、ソウル市内、飯塚晋一撮影
取材考記 ソウル支局・武田肇
2015年の日韓慰安婦合意で設立された「和解・癒やし財団」は、日本が出した10億円を財源に元慰安婦と遺族に支援金を支給する事業に取り組んできた。
だが、日韓関係が悪化する中、韓国の文在寅(ムンジェイン)政権は財団の解散を決め、手続きを進めている。突然の解散決定で、受給を希望したうち、元慰安婦2人と遺族13人への支払いが滞っていると知り、5月に当事者を取材した。
仁川市の女性(58)は戦時中、母が旧満州(中国東北部)で慰安婦をさせられた。女性が母の体験を初めて聞いたのは1990年代初め、30歳の頃だった。「とても驚き、『外でその話をするのはやめて』と言ってしまった」。母は数年後に病死。病床で、左足の傷は、慰安所に連れて行かれた16歳のとき、短刀で切られて付いたものだと言い残したという。
女性は観光などで訪れた日本人を街で見るたびに気持ちが重かったという。長女(25)には、祖母の無念を忘れないようにと言い聞かせ、母が眠る国立墓地に何度も連れて行った。
日本に対する嫌悪感が和らいだのは最近だ。日本にも元慰安婦を支援する市民がいると耳にした。さらに、財団の支援金支給の目的が元慰安婦の名誉と尊厳の回復だと知った。「わだかまりはあるけれど、日本と仲良くしなければと思うようになった」と受給を希望した理由を説明した。
文政権が財団解散を急ぐのは朴槿恵(パククネ)前政権時代の「失政」と日韓合意を位置づけているからだ。韓国メディアの多くも「支援金を受け取るのは道徳的に正しくない」と考え、「未払い問題」に注目することはない。だが、事業の対象になった元慰安婦47人、遺族199人のうち、元慰安婦36人、遺族71人が受給を希望したことからもわかるように、財団の取り組みに賛同する人がいるのも事実だ。
このまま財団が解散すれば支援金が行き渡らないだけでなく、財団は問題の解決に何ら寄与しなかったと結論づけられることになる。しかし、実態は違う。両政府はいま一度、当事者の声に丹念に耳を傾け、日韓合意を未来に生かす道を探れないだろうか。(ソウル支局・武田肇)