国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が昨日、東京五輪のマラソン・競歩の会場を「札幌市に移すことに決めた」と、突然表明した。世界陸上が開かれたドーハで開催された各国オリンピック委員会連合(ANOC)総会で述べたもの。小池百合子東京都知事は「いっそのこと北方領土でやったら」と不快感を表明したが、組織委員会の森喜朗会長も受け入れる考えを表明しており、事実上札幌開催で決まりだろう。オリンピックの象徴であるマラソンが東京で開催されないとなれば、東京オリンピックの冠に傷がつく。だが、アスリートファーストという点では、遅きに失したとはいえこれが最善だろう。

真夏の7月、猛暑の東京でオリンピックを開催すること自体、アスリートファーストの原則に反している。IOCもJOCもアスリートファーストに配慮しているとは思えない。オリンピック関係者が本当にアスリートファーストを貫くなら、少なくとも開催時期は開催国の判断に委ねるべきだろう。日本の気象条件は5月か10月が最もアスリートに適している。前回のオリンピックも10月10日が開会式だった。真っ青な青空に自衛隊のブルーインパルスが真っ白な五輪マークを描き出した。あの東京五輪の開会式の光景がいまだに目に焼き付いている。日本で五輪といえば10月。この思いは国民の間に染み付いている。

2020東京オリンピック・パラリンピックはなぜ7月なのか。今更あれこれ言うのもバカバカしい。“ドーハの悲劇”はサッカーだけではない。世界陸上2019のマラソン競技は深夜のスタートにも関わらず、途中で棄権した選手が大量に出た。マラソンもドーハで悲劇に見舞われた。その現実がバッハ会長に札幌移転を決断させたのだろう。それは評価するが、オリンピックはいまや巨大なショービジネスと化している。アスリートはそのための持ち駒にすぎない。みんながそれをわかった上でこのショーを批判し、盛り上げようとしている。その構造に異を唱えるつもりはないが、せめて開催都市、開催時期、開催場所ぐらい柔軟に開催国が判断するようにできないものか。“通年オリンピック”なんてものもあっていい。