◇習氏指示で情報開示、「人災」見方強まる
中国湖北省武漢市を「震源地」とする新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大は、「人災」ではないかとの見方が強まっている。最初の感染報告から40日以上がたった1月20日、習近平国家主席はようやく、「感染まん延の断固阻止」や「社会安定の維持」を求める「重要指示」を出した。その中で「迅速な情報開示」を徹底するよう命じており、ようやく全土から深刻な感染者情報が次々と明らかになった。
習体制発足7年間で言論統制が強化され続ける中、社会の矛盾を暴きたくても統制されてきた中国の記者たちは真実を報道し、地元政府の対応を追及している。こうした報道から見えるのは、2003年に大流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)の教訓をくみ取っていない地方の根深い「隠蔽(いんぺい)」「官僚」体質である。(時事通信社外信部編集委員・前北京特派員 城山英已)
◇17年前SARSの教訓と「武漢封鎖」
中国では1月25日の春節(旧正月)を前に、24日から1週間の大型連休に入った。これを直前に武漢市政府は23日から「特殊な事情がない限り市民は武漢を離れてはならない。市内の地下鉄・バスは運行停止にし、空港、鉄道駅の武漢からの出発通路も閉鎖」と発表した。武漢市は人口約1100万人の大都市。帰省ラッシュを迎えた中で異例の「武漢封鎖」を決断せざるを得なかったわけだが、既に「時遅し」の感が強い。24日午前現在で感染者は830人、死亡は26人に達したが、さらに拡大することは不可避だ。
感染者8096人、死者774人を出したSARS大流行の際、筆者は北京に駐在していた。首都・北京のレストランやホテル、ショッピングセンターは全面的に閉鎖され、大通りを行き来する車や人はほとんどなく、閑散とした。深夜に青い回転灯を回して走る救急車を見て恐怖を感じた。「街は死んでしまった」という印象を持ったことを今も鮮明に覚えている。
SARSは、2002年11月に広東省で感染が起こり、隣接する香港に飛び火し、翌03年3月には北京で流行し始め、爆発した。4月20日、北京で記者会見が開かれ、これまで北京市の発症者40人、死者4人とした感染情報を修正し、実際には発症者346人、死者18人だったと発表した。会見するはずだった衛生相と北京市長は会場に現れなかった。「情報隠し」を問責され、更迭されたからだ。3月に胡錦濤国家主席(当時)が選出される政治舞台である全国人民代表大会(全人代=国会)を控え、関係当局は「患者隠蔽」を選んだのだ。
◇野生動物販売された市場
武漢の新型肺炎のケースもよく似た経過をたどった。「原因不明の肺炎患者発病」という報告が最初にあったのは2019年12月8日。同30日にインターネット上に「原因不明肺炎治療に関する緊急通知」という武漢市衛生健康委員会(衛生当局)作成の文書が流れ、そこには武漢市の多くの病院で肺炎患者が相次いでおり、「華南海鮮市場」が関係していると記されていた。同委員会は31日、27人の肺炎患者がおり、うち7人が重症だとした上で、「人から人への感染は見つかっていない」と否定した。
海鮮市場は1月1日になってようやく閉鎖された。市場は「海鮮」と言いながら、タケネズミ、アナグマ、ハクビシン、ヘビ、クジャクなど多くの野生動物も違法に販売されていた。SARSの際も広東省のハクビシンが感染源とされたが、今回も専門家は野生動物から感染したとの見方を強めている。
◇「真実はネットにあり」 当局は書き込み削除
初の死亡例が発表されるのは1月11日だが、13日にはタイで、16日には日本で中国人の感染が確認された。「タイや日本で確認されているのに武漢以外の中国各地で感染の報告がないのはおかしい」という疑念の声が中国版ツイッター「微博」などインターネット交流サイト(SNS)で相次ぐ中、やはり20日になって武漢以外で初の感染者が北京市と広東省で発生したと公表された。武漢の空港、鉄道駅などで体温チェックを始めるのは19日からと遅く、市政府が何も予防措置を取らない間に、武漢から各地にウイルスは拡散した可能性が高い。
「人から人への感染」について武漢市衛生当局が15日に「排除しない」と曖昧な反応しか示さなかったことも大きい。湖北省では1月12~17日に人民代表大会(議会)が開催され、省指導部にとって年1回の重要会議の「円満成功」は絶対の優先事項だ。ここで新型肺炎に関する「負面(ネガティブ)情報」の公表を回避する政治的思考が働いたとする見方は、SARS時の同じである。
一方で危機感が強まるのは20日夜、SARSでも活躍した感染症の権威、鍾南山氏が「人から人への感染は間違いない」と明言して以降だ。しかし中央政府の公式見解ではなく、国営中央テレビの番組での発言であり、地方政府も中央の国家衛生健康委員会も「問題を小さくしたい」という保身意識が働いた結果とみられる。
実は12月下旬以降、「微博」などでは肺炎で高熱が続いても病院で入院を拒まれたなどの書き込みが相次いだ。しかし当局はこうした書き込みを削除するなどしてもみ消し、投稿者のアカウントも取り消された。海鮮市場が閉鎖された1月1日、武漢市公安局は、肺炎に関して「事実でない情報を発信、転載した」として8人を「社会秩序を乱す違法行為」と断定し、処罰したと発表したが、この時点では、当局がウソをつき、「ネットに真実あり」が証明されるには、さらに20日間の時間を要することになる。
◇ネガティブ情報は習氏に入らず
情報開示の大きな転機は1月20日、雲南省を視察中の習主席が「重要指示」を発したことだ。これ以降、これまで公にならなかった地方各地の感染者情報は、各政府から競うようにして発表されるよう変化する。社会の安定にとってマイナスとなる情報が公になれば、その地域の幹部の昇進に悪影響を及ぼすというゆがんだ人事制度に根本的な問題が存在する。
武漢以外の地方幹部にすれば、武漢で発生した肺炎は武漢の問題であり、自分の地域は関係なく、「沈黙」で切り抜けようと決め込んだだろう。しかし習主席の重要指示を受け、一転して「情報公開」が中央から評価を得られる基準に変わったと判断したのだ。SARS大流行から17年がたち、中国がGDP規模で日本を抜き、「大国」「強国」の名をほしいままにしても、上しか見ない官僚の体質は何も変わっていないことがはっきりした。
特に役人の腐敗や不正に厳しい習近平体制の下、問題が発覚すれば、左遷や更迭、ひどい場合には投獄生活が待っている。地方幹部は「恐怖政治」におびえて身動きが取れず、また自ら進んで前向きな仕事をすることをちゅうちょしている。トップが指示しなければ下は動かない硬直した官僚体制が深刻化し、地方の「ネガティブ情報」は、習主席らの仕事・生活する北京・中南海には入りにくくなっている。
また習体制発足初期まで社会の矛盾やひずみを自分の足で取材し、国民に伝える役割を担った調査報道記者の存在も、地方の役人から見れば、迷惑な存在である。政府から大きな圧力をかけられた記者たちは「新聞紙面」や「ネット空間」での報道の場を奪われた。こうした結果、習主席の耳には、「聞こえのいい話」しか入りにくくなる傾向はますます強まった、と言える。
◇究極の「忖度政治」
さらに言えば、習体制の本質は、究極の「忖度(そんたく)政治」である。習主席が「社会安定を維持しろ」と指示を出せば、取り締まる側の公安当局は過剰に反応する。政府の不正に不満を持つ陳情者ら社会的弱者や、彼らの味方である人権派弁護士らを「国家の敵」とみなし徹底的に弾圧した。共産党体制に建設的な「異論」を唱える改革派大学教授も解雇され、社会の矛盾を報道して政府に改革を促す記者も転職を余儀なくされた。
当局者は末端に行けば行くほど習主席の指示を何倍にも拡大解釈し、統制を強めており、それを自身の政治的業績とする風潮がますます顕著になっている。今や「偉大な領袖(りょうしゅう)」となった習主席に対し、耳の痛い話を直接伝えられる幹部はどれだけいるのだろうか。
習主席にはいつ感染が深刻だという情報が入ったのだろうか。実は習氏は1月17日からミャンマーを訪問し、19日からはそのまま雲南省視察に入った。このため感染拡大に関する詳細な報告をこまめに聞けなかった可能性は捨て切れない。武漢以外にも北京に感染者が広がっているという報告を受け、深刻だと初めて認識し、20日の「重要指示」につながったのではないか。
これは筆者の想像だが、「人から人への感染」を断言した鍾南山氏のインタビュー番組は、保身に走る地方幹部では中南海に対して肺炎拡大の危機感を伝えられないと考えた中央テレビの独自の判断があったのではないだろうか。共産党の「舌」と化している中央テレビだが、インタビュアーの白岩松氏は改革派ジャーナリストである。白氏らは、番組を通じて事実を報道し、政府や国民の危機意識を高めようとした可能性は高い。
◇武漢市長へ六つの公開質問
1月22日夜から23日未明にかけて「新型肺炎」に関して武漢市長が回答しなければならない六つの問題」という文章が、中国版LINE「微信(ウィーチャット)」に発信され、次々と転送された。周先旺・武漢市長に対する公開質問状である。
(1)武漢で最初の肺炎患者が報告された昨年12月8日から同市衛生健康委員会が緊急通知を出した同月30日までの22日間、市政府は肺炎に関して何も反応していない。感染拡散を抑止できたはずのこの「黄金期間」に政府はどんな措置を講じていたのか。
(2)ネットでデマを流したとして処罰された8人に対する法的根拠は何か。その情報は後に事実と証明されたが、政府や警察は8人に対して公開謝罪や賠償を行わないのか。公安局の責任者を処罰しないのか。
(3)12月8日以降、市政府は海鮮市場が感染源であることを早くから知っていたにもかかわらず、なぜ速やかに閉鎖しなかったのか。
(4)武漢では15人の医療従事者が感染しており、「人から人への感染」が明らかだった。鍾南山氏が真実を語らなければ、市政府はなお隠蔽するつもりでいたのではないか。
(5)1月14日に多くのメディア記者が武漢の感染症専門病院に取材に行った際、地元警察は、取材メモや写真などの削除を要求しただけでなく、記者を連行して数時間にわたり尋問した。警察による取材妨害の法的根拠はどこにあるのか。
(6)武漢市政府が長時間にわたり肺炎感染を隠蔽し報告しなかったのは、当時、重要会議の開催があったからという指摘があり、会議に向けて安定した雰囲気をつくるため「負面報道」を認めなかったのではないのか。
おそらく調査報道記者が発信した文章とみられるが、武漢市政府の「隠蔽体質」を厳しく追及している。
◇「憂国」高める世論工作へ
習近平指導部は、感染拡大を何とか最小限に食い止めたいところだが、当面は感染者や死者が増えることは覚悟しているだろう。同時に頭を痛めているのは、メディアを通じて政府の対応に問題があり、「人災」という側面が強調されることで、17年前と全く変わっていない現実に対して共産党・政府への国民の不満が高まる事態だ。
3月5日に開幕する全人代の開催を危ぶむ声も出そうだが、筆者の見立てでは、春節の大型連休が終わる1月30日前後に、報道・ネットも含めて世論工作を強化するのは間違いない。調査報道記者たちが現在、取材・報道で重点を置くのは「真実は何か」「政府に問題はなかったか」という点だが、習指導部の幹部はこうした報道を快く思っていない。報道規制を強め、死者・感染者がさらに拡大すれば、国民の「憂国意識」を高める方向に世論づくりを行うだろう。
実際に23日の「武漢封鎖」決定を受け、共産党機関紙・人民日報はさっそく、「微信」向けの文章で「武漢がんばれ、われわれは困難に共に耐えよう」との見出しを掲げた。文章は「疫病は共通の敵であり、危険な疫病を前にしてわれわれは運命共同体だ。武漢人民と共に立ち、共に手を携え困難を克服し、共に難関を乗り切ろう」と訴えた上で、「全国人民の団結」と「国際協力の強化」を呼び掛けている。
国難に直面した時、共産党指導部が先頭に立って人民の団結を促し、政権への求心力を高めるという宣伝工作は、03年のSARS、08年の四川大地震などの際にも展開された伝統的手法である。「マイナス」を「プラス」に転換させようという発想だ。これに伴い対外強硬路線だった習指導部が、外交面で国際協調色を強くすることが予想される。今回の新型肺炎問題は、習近平政治に「変化」が現れる転機になる可能性もあるだろう。
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