中国政府は政治的混乱が続く香港の出先機関トップ(閣僚級)を更迭した。反政府勢力を過小評価するなど香港の政治情勢を見誤ったためとみられる。解任されたのは香港問題の専門家だが、後任は香港政策に関わった経験が全くない「門外漢」が初めて起用された。高齢で第一線から退いていた半引退幹部を引っ張り出したという点も合わせ、極めて異例の人事だ。
◇スケープゴート?
中国政府の香港出先機関である連絡弁公室(中連弁)主任が王志民氏から前共産党山西省委員会書記の駱恵寧氏に交代する人事が1月4日、発表された。
王氏は在任2年3カ月。年齢は62歳で、閣僚級の定年(65歳)には達していない。過去の同主任は平均で約5年務めていたので、更迭であることは明らか。香港返還から20年以上たつが、中国政府出先機関のトップがクビになるのは初めてだ。
王氏はかつて福建省の党委員会や政府機関に勤務。同省勤務が長かった習氏の福建人脈に連なるといわれる。返還前の新華社香港支社(中連弁の前身)で働いたことがあり、香港中連弁の部長や副主任、国務院(内閣)香港マカオ事務弁公室副主任(次官級)、マカオ中連弁主任を経て、香港中連弁主任に就任した。中国政府有数の香港通と言ってよい。
社会主義国の高官が政策上の失敗で辞めることは非常に少ない。まして政権主流派である習派の高官であるのならば、派閥の庇護(ひご)で続投できそうなものだが、王氏はあっさり解任された。
王氏は逃亡犯条例改正の動き(既に撤回)への反発をきっかけに始まった反政府運動の盛り上がりを予想できず、区議会選挙で親中派が惨敗する事態を招いた責任を問われた形だ。しかし、根本的な原因は習政権の香港に対する極端な政治的締め付けなのであるから、王氏はスケープゴートになったようにも見える。
王氏は党中央党史・文献研究院の筆頭副院長に異動した。このポストは閣僚級なので、形式上は横滑りだが、研究機関の閑職への転出であり、実質的には左遷である。
◇初の地方トップ経験者起用
急きょ香港へ派遣された駱氏は青海省の省長(知事に相当)と省党委書記、山西省党委書記を歴任した(いずれも閣僚級)。同氏を香港中連弁主任に起用した人事は次のような特徴がある。
一、歴代の同主任と異なって、香港工作の経験が皆無。香港問題と関連する台湾・外交政策の仕事もしたことがない。
一、閣僚級定年の65歳に達して、全国人民代表大会(全人代=国会)財政経済委員会の副主任委員(副委員長に相当)という名誉職に就任していたのに、重要な第一線ポストに戻った。65歳は歴代主任で最高齢。
一、全人代財経委副主任委員に任命されてから、わずか1週間で転出した。
一、1級地方行政区(省・自治区・直轄市)のトップ経験者として初めて中連弁主任に就任した。
以上の特徴から、駱氏は香港と縁がないにもかかわらずというより、縁がないからこそ中連弁主任に起用されたと言えるだろう。
これまでの主任はいずれも就任の時点で香港事情に通じていたが、それだけに親中派の政党、企業など現地のさまざまな勢力としがらみがあった。それが中央への報告や建議に影響していた可能性は否定できない。
駱氏の着任直後、香港の政情に詳しい現地の消息筋は筆者に「駱氏は中連弁や親中派を粛清するだろう」と述べる一方で、「(香港社会に対して)柔軟な姿勢を示すが、それは表面的なものにすぎない」との見方を示した。別の現地消息筋も「中央が軟化することはあり得ない」とした上で、「中央の香港に対する干渉はさらに強まり、全面的になる。香港の経済、世論、教育、司法に有形無形の手段で介入してくるだろう」と語った。
◇大物でも至難の業
習政権が昨年10月の第19期党中央委総会第4回総会(4中総会)で詳述した対香港強硬路線をこれまでより巧妙に進めるのが駱氏の任務とみられる。
駱氏は1月15日、中連弁主催の新春レセプションで主任として初の演説を行い、「香港は多元的社会であり、一部の問題で異なる意見が出てくる、さらには重大な意見の食い違いが生じるのは不思議ではない」などと寛容なポーズを見せたものの、民主化などの政治問題で何か具体的に譲歩するかのような発言はなかった。
一方、同20日付の党機関紙・人民日報に掲載された論文で駱氏は、「外部勢力」による浸透・破壊を防ぐため「国家安全保障体制のメカニズム」を構築する必要性を強調するとともに、愛国主義教育は香港にとって非常に重要だと指摘した。香港政府に対し、外国と連携・協力する政治活動を法的に規制し、青少年には学校教育で中国人意識をたたき込むよう求める方針とみられる。
1国2制度を適用された香港の「高度な自治」を事実上縮小していくという大仕事を進めていくためには、香港に関する専門知識よりも、反政府側への対処を含む政治的手腕が求められる。反腐敗闘争の重点対象とされた山西省や少数民族が多い青海省のトップを務め、党中央政治局員並みのキャリアを持つ駱氏が起用された理由はそこにあるのだろう。
駱氏は安徽省時代の上司に江沢民元国家主席派や胡錦濤前国家主席派の有力者がいたので、両派と関係が深いとの見方もあるが、習政権下で腐敗が特にひどかった山西省指導部を粛清する任務を託されたことからみて、習氏の信頼も得ていると思われる。
重量級の党官僚である駱氏の就任で、香港中連弁主任のポストは事実上、大幅に格上げされた。もし同氏が今後、議会形式の統一戦線組織である人民政治協商会議(政協)の副主席もしくは上級閣僚の国務委員を兼務した場合、その地位は閣僚の上に位置する「国家指導者」となる。
ただ、その「威光」は香港政府や親中派に通じても、そもそも共産党の独裁体制自体を嫌悪している民主派などの反政府勢力には通じない。また、近年の香港では、経済規模の大きさをやたらと誇示する中国は「世界第2の経済大国」としてあがめられるよりも、自称「強国」などと皮肉られたり、警戒されたりすることが多いのが実情だ。駱氏が親中派陣営を立て直すと同時に反政府側を巧みにけん制し、中央の香港に対する「全面的統治権」行使を実質的に強化していくのは、やはり至難の業であろう【解説委員・西村哲也】。